【バックナンバー公開】東北食べる通信|岩手県大槌町・兼澤幸男さんの物語(3/3)

兼澤さんの妻・華奈さんが作る『鹿角・マクラメ編タペストリー』

食べる通信で過去に特集した記事をご紹介する「バックナンバーアーカイブ」。

東北食べる通信が生まれるきっかけとなった東日本大震災から、もうすぐ10年を迎えます。それまでの日常を奪われた東北の生産者さんたちは、この10年間で数多くの困難と戦いながら、新たな挑戦を始めています。

佐々木友彦さんの物語に続く第2回目は、『東北食べる通信 2020年9月号』で特集した岩手県大槌町(おおつち)の猟師、兼澤幸男さんの物語をご紹介いたします。

「ジビエ」にはどのようなイメージがあるでしょうか。独特の獣臭さがあり、それが好きな方もいれば、苦手だという方もいるかもしれません。しかし、兼澤さんが捕獲・解体方法に徹底的にこだわった、臭みがなく柔らかい鹿肉には、そのイメージを覆されます。

この鹿肉を私たちが味わえるようになったのはつい最近のこと。原発事故の影響で、捕獲した鹿は焼却処分するしかありませんでした。兼澤さんは「奪った命を価値あるものにしたい」という一心で、規制解除という大きな壁に挑みました。

 

その1はこちら

その2はこちら


食の向こうに、人がいる。

東北食べる通信 2020年9月号


 

鹿肉の人

岩手県大槌町 兼澤幸男さん

 

 

 

二つのハードル

岩手県で一斉に規制を解除するには、全市町村で3頭ずつ鹿を捕獲して検査を行うことが条件だった。しかし、狩猟を行っていない地域もあるため、一斉解除は現実性がなかった。一方、特定の地域のみ解除をするには、野生鳥獣専用の施設で処理をし、全頭放射性物質検査を行うことが必要だった。しかし、岩手県内にはその処理施設がなかった。もともと岩手県はニホンジカの生息域の北限であり、また、明治時代の乱獲で頭数が激減したために、戦後はむしろ捕獲制限をして保護していたという背景がある。

震災後、県民からは幾度となく「規制を解除しろ」という声が上がっていたが、処理場がなければ規制解除はできない。そして規制解除できるかどうか確信がない中では、誰も処理場の建設には踏み切れないでいた。また、仮に規制が解除されたとしても、ジビエ処理場の経営が難しいのは周知の事実だった。全国に600件あるジビエ処理場のうち、実に500件が赤字または20%以下の稼働率という有様なのだ。猟師が持ち込む鳥獣の品質が安定しないことや捕獲頭数の少なさ、規模に見合わない設備投資などがその原因である。

大槌町の場合も状況は同じだった。2回目の勉強会で、「結局誰がリスクを背負うかなんですよね」と藤原さんが切り出すと、「俺やる」と兼澤さんが手を挙げた。「一人でも、腹切ってでもやりたいって思ってた」。その後、兼澤さんは茨城や千葉など全国のジビエ事業者のもとへ出向き、獲り方や解体処理などの技術を吸収していった。「岩手県は出遅れたからこそ、他の地域を上回るレベルでやりたい」。各地の鹿肉を取り寄せて食べ比べ、「大槌の鹿が一番だ」と自信をつけた。

その一方で、規制解除は遅々として進まなかった。県に問い合わせても取り合ってもらえず、農林水産省の官僚を招いて意見交換会を行ったときも、出席した県職員はその場では「解除のために動く」と言ったが、1週間後に問い合わせるとシラを切られた。三歩進んで二歩下がるというようなやりとりを続けるうちに、2年が経ち、ジビエ勉強会も40回を数えていた。兼澤さんと藤原さん、役場の佐藤さんの三人は毎日のように顔を合わせては議論をした。白熱した議論は深夜まで続いた。

 

背水の陣

2019年11月、転機が訪れる。兼澤さんが商工会に行ったときのことである。ジビエ事業を始めるにあたって県から受けられる補助金がないかと相談すると、担当者は事業計画書を一瞥し、「内容は面白いけど、二足の草鞋を履くような人の話を県は聞きませんよ」と計画書を投げるようにして返した。兼澤さんは事業が軌道に乗るまでは勤めていたガス会社の仕事を続けるつもりだったのだ。しかし、その一言が彼の心を燃え上がらせた。翌日出社するや否や、「3月末で辞めます」と告げた。そして翌月12月には、処理場の建設会社から「今月中に契約してもらえないと建てられない」と迫られた。建物の基礎もなく、下水道も完備されていなかったため、工事費は締めて1400万円となった。この急展開に驚いた役場の佐藤さんは、「町の農作物被害の減少につながる、極めて公益性が高い事業です」と町に提案し、大槌町独自の補助金を作り出して200万円を供出した。「県も国も待っていられなかったので。男気補助金です」と笑う。この時点で規制解除の目処は全く立っていなかったが、兼澤さんは1200万円の契約に判を押した。背水の陣を敷いた彼の覚悟が事態を大きく動かしていく。

今年2月末、なかなか進展がない県の対応に痺れを切らし、兼澤さん、佐藤さん、藤原さんは県議会議員、大槌町長とともに県庁を訪問した。町長自ら「大槌の若いやつの挑戦を応援してほしい」と頭を下げてくれた。そして4月15日、県から規制解除決定の知らせが届く。訪問から1ヶ月半後という異例のスピードだった。兼澤さんたちの想いに触れた県職員が解除のために尽力してくれたのだ。震災から9年間、岩手県に横たわっていた岩盤のような課題に、ついに彼らは一つの穴を開けた。現在では、大槌町に追随しようと、県内の他の市町村でも同様の動きが活発化している。

 

ひとつの命

取材の夜、「保健所付近でクマが発見されました」と注意を促す町内放送が鳴り響いた。翌朝には、鹿が道路で轢かれているという連絡が入った。それでも兼澤さんは、「鹿を撃つなんてかわいそう」と町民から言われることがある。そんなとき彼は「そうなんです。かわいそうなんです」と返す。「でも、誰かがやらないといけない」。

「先輩猟師からは『必ず止めを刺せ』と教えられる。鹿の角が首に刺さって死んだ人もいるから、情けはかけない。お腹の中に子どもがいる鹿もいる。『それも撃つのか?』と聞かれれば、もちろん撃つ。2頭になる前に撃つ。でも、鹿は決してモノじゃない。鹿も命乞いする。面と向かって撃つときには、助けてっていう顔をして叫ぶんだよ。鉄砲撃ちは簡単に命を獲ると思われてるけど、そうじゃない。ベテランたちだって葛藤がある。春先に撃つと腹の中の子を見なきゃいけない、孫と重なるからって撃たない人もいる。情けをかけないっていう気持ちと、命だっていう気持ち。どっちもなくしちゃいけない」。

 

虫や魚や、獣や人間。大槌の大いなる自然の中で、無数の命が輝き、閉じていく様を彼は目を逸らさずにまっすぐ見てきた。山の中で鹿と対峙し、「山の一部になりきる。俺は木だ」と言ったとき、彼は本当に、そこにうごめく数多の生きものと平等な、ひとつの命だった。

以上


『東北食べる通信 2020年9月号』より特集記事を抜粋

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