【無料公開】零下20℃の放牧地。2017年2月号「中洞生きもの学校」バックナンバー その2

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臭いがしない牧場

中洞牧場で驚かされたことのひとつに、臭いがある。牛舎飼いの酪農の現場は、とにかく糞尿の臭いが鼻につく。私が前述したメガファームで研修したとき、一度に20頭近くの牛の乳を自動的に搾る大型搾乳専用機「ミルキングパーラー」の掃除を担当したが、金属製のパーラーにこびりついた糞尿をタワシでごしごし擦りとる作業は常に臭いがつきまとい大変だった。また同じく岩手県内で小規模酪農を営む家に泊めさせてもらったとき、牛舎に溜まった糞尿をスコップで取り出す作業をしたが、足腰以上に鼻にきた。いずれも金属やコンクリートなど、自然の循環から切り離された人工物の世界に閉じ込められた糞尿が漂わせる臭いだった。

以来、酪農と言えば“あの臭い”というイメージがつきまとっていたが、中洞牧場には“あの臭い”がないのである。ここでは、牛たちは大地に糞尿を垂れ流す。大地に排泄された糞尿はたちまち微生物たちの餌となり、分解され、栄養源となって土を肥やす。そして、青々とした美しい野芝に成り代わるのだ。だから臭わない。臭わないどころか、糞尿に対するいまいましいイメージが目の前に広がる美しい光景で刷新されるのである。

牛舎飼いでは、糞尿は完全にお荷物的存在だ。それは臭いだけの話ではない。金がかかるのだ。消化機能が旺盛な牛は一日中排泄しているので、大量の糞尿を処理するのに費用がかかる。さらに、糞尿処理施設の建設にもかなりの投資をしなければならない。通常、牛舎の5倍の敷地が必要とされる。一方、中洞さんが実践してきた山地(やまち)酪農は、糞尿処理代はかからないばかりか、野シバなどの餌を育てる土を豊かにしてくれる貴重な資源になっている。ただし、「この方法では山の面積に頭数を制限されるという弱点もある」と、中洞さんはいう。なぜなら、山に自生する植物が牛の餌となるからだ。

しかし、山地酪農の本質はこの弱点にこそ隠されている。人間と牛が自然に働きかけ、未利用の植物資源を牛乳という恵みに変える山地酪農は、自然の循環を活用できる範囲内においてのみ成立し、それでこそ持続可能な酪農になりうると中洞さんは考えている。この点で、牛の体の仕組みと生産量を人工的にコントロールしようとする近代酪農の立場と決定的に一線を画する。中洞さんは山地酪農の可能性をこう語る。「日本の国土は7割が山林だがほとんど手入れされずに荒れ放題になっている。人間が木の間伐などの手入れをし、光を入れてあげれば草が育ち、それを牛が食べ、山を保全してくれる。間伐した木はお金にもなる。林業は木が育つのに時間がかかるから、それまでは山地酪農で生計を立てられれば林業と両立できるはずだ」。

命の牛乳

脇目も振らずに一心不乱に山地酪農の道を突き進んできた中洞さんをあざ笑うかのように、大半の酪農家は国や農協の指導に沿って、牛舎による近代酪農を推し進めてきた。その近代酪農が今、厳しい局面に立たされている。1970年に31万戸いた酪農家は、一昨年には1万7千戸まで激減。中洞さんもその凋落ぶりを肌で感じている。33年前に中洞さんがこの地に入植したころ、同じ岩泉町には300戸の酪農家がいたが、今では30戸に減り、後継者がいるところはほとんどない。酪農王国の北海道ですら、毎年200戸の酪農家が離農している。

なぜ、こんなことになってしまったのだろうか。中洞さんは、自然の仕組みを人工的にコントロールしようとする近代酪農の根本的あり方に疑問を投げかける。山地酪農が自然の力に委ねるのを基本理念とするのに対し、近代酪農は人間と科学技術の力で自然を管理・支配することを目指す。その結果、管理に必要なコストがかさみ、経営を圧迫していると中洞さんはみている。糞尿処理代に加え、大きな負担となって酪農家に重くのしかかっているのが餌代と治療費だ。人工的に搾乳量を増やすため、穀物などを原材料とする輸入濃厚飼料を与えている。確かに搾乳量は増えるが、結果、輸入飼料代の値上がりに苦しめられているのだ。また、狭い牛舎で不健康的な密飼いをしているので、病気になりやすく、治療費もバカにならない。

牛舎で密飼いする場合の牛の平均寿命は6〜7歳だが、受精も分娩も自然任せでストレスなく育つ中洞牧場では20歳近くまで長生きする牛もいる。人間のために牛が命を削って牛乳をつくる近代農業を、酪農学園大学名誉教授の故桜井豊博士は次のように厳しく批判する。「牛舎という工場で、牛というロボットに、輸入飼料という原材料を用いて、牛乳という工業製品を生産させているのが、日本の酪農の実態である」。中洞さんは、牛はロボットではないし、牛乳は工業製品ではないと訴えてきた。1リットルの牛乳をつくるには、400〜500リットルの血液が必要で、母牛が命を削って子牛のためにつくるものを人間がおすそ分けしてもらっているのだという姿勢を貫いてきた。

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東北食べる通信

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