【バックナンバー公開】東北食べる通信|福島県相馬市・菊地将兵さんの物語(1/3)

 

食べる通信で過去に特集した記事をご紹介する「バックナンバーアーカイブ」。

東北食べる通信が生まれるきっかけとなった東日本大震災から、もうすぐ10年を迎えます。それまでの日常を奪われた東北の生産者さんたちは、この10年間で数多くの困難と戦いながら、新たな挑戦を始めています。

東日本大震災とそれに伴う福島第一原発の爆発事故により、福島県の生産者は激しい風評被害に悩まされることになりました。原発から30km以上離れた相馬市では、検査の結果が基準値未満でも地元の野菜が売れないという状態が続きました。
その最中にふるさと・相馬市に帰郷し、農家になった菊地将兵(しょうへい)さん。「この土地だからこそ、日本で一番安全な食べものを作りたい」と有機栽培で野菜を育て、平飼いで養鶏をしています。
 
生産者が“相馬”と胸を張って言えなかった当時、菊地さんはその卵に「相馬ミルキーエッグ」と名付けました。地域の恵みによって育てられているこの鶏たち、一体何を食べていると思いますか?

彼の農業は、彼の歴史とあるべき姿そのものです。見ているこちらが自分を振り返って恥ずかしくなるほど、真っ直ぐで正しい。そんな生き方にぜひ触れてください。

 

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世なおしは、食なおし。

東北食べる通信 2017年11月号


 

耕して、守る

 

これから出かけるという養鶏農家の菊地将兵(取材当時31)は、自宅脇の軽トラックの荷台に大きなポリバケツをふたつ積み込んだ。私がその軽トラックの助手席に乗り込むと、鶏の匂いに混ざり込んで、妙な匂いが鼻をついた。それは紛れもなく魚の匂いだった。「これから鶏の餌用に魚のアラをもらいに行きます」と菊地は言って、サイドブレーキを下げた。この軽トラックでほぼ毎日、農産物と海産物の物々交換に出かけているため、魚の匂いが残っていたのだ。

まず菊地が向かった先は、魚市場だった。そこには、『そうま食べる通信』編集部員のひとり、飯塚哲生の姿があった。本業は仲買人だ。菊地はいつも、魚の身をとった後に残る頭や骨、エラにこびりついた肉などのアラを飯塚からもらうのだが、この日はすでになかった。タコの頭なら残っているよと飯塚に言われ、菊地は卵2ケースとジャガイモと交換した。「俺からするとね、こんなの持ってくの?っていう感じですよね。だって、こんなの普段はお金払って捨ててるんだから。しかも、ありがとうございますって言われて。これが卵とジャガイモに化けるんですから。市場には野菜はないから、まかないつくるのにも助かるんです」と、飯塚は苦笑いする。

飯塚は、3種類のカレイとアイナメ、太刀魚、タイなどの鮮魚も菊地におすそ分けした。「アラをもらいに行くと、こうして自動的に魚ももらってくることになるから、ぼくんちは魚は買わないんですよ」と、菊地は得意気に語る。次に菊地が向かったのは、町中にある老舗の魚屋だった。店から出てきた老婆に連れられ、菊地は野外の冷蔵庫から魚のアラと、鮮度が落ちた牡蠣、サンマ、マグロを運び出し、ポリバケツに入れた。「今日はキャベツ持ってきたんで」と菊地が言うと、「あー、うれしいこと」と老婆が答えた。

この魚屋には週に2回物々交換に通っている。一回もらうと、鶏の3日分の餌になる。「あの店も生き残るために、スーパーより鮮度のいいものしか置かない。だから、さっきのような魚も1日経ったものは捨てる。もったいないでしょ」。菊地はこの他にも、刺身を提供する地元の料理屋に週に2回通う。養鶏を始めた2年前に思い立ち、「魚のアラはありませんか?お金はないので野菜と交換で」と、市内の魚屋などを回った。なかなか相手にしてくれるところはなかったが、ようやく見つかったのがこの魚屋と料理屋だった。仲買人の飯塚も快く応じてくれた。

相馬市内には旅館がたくさんある。そこでは頻繁に宴会もやっている。ある宴会に出席した菊地は、食べ残しの魚が多いことに気づき、そのまま捨てられるのはもったいないと”鶏目線”で感じた。なにしろ、これらは鶏にとっては重要なタンパク源のご馳走になるのだから。自分はあと1軒か2軒の物々交換先を見つければ十分なので、残りの旅館は他の農家や次世代の若い農家が食べ残しを堆肥用に引き取るようになればいいと菊地は思う。「受け取りにいく時間と手間さえ惜しまなければ、こうしてただで餌が手に入る。まだまだこういう循環が作れるはずだ」。

 

鶏舎は人間社会の縮図

ビニールハウスを改造してつくった鶏舎に戻った菊地はその中に入り、もらってきた魚を火ばさみでつまんで落としていった。鶏たちは我先にと一斉に餌に群がり、魚の切り身も、まるまる一匹のサンマも、イカも、くちばしで次々と突かれ、食べられていった。中には、餌を独り占めしようとくちばしでくわえて逃げていく欲張りな鶏もいる。すかさず他の鶏たちに追いつかれ、取り囲まれ、その餌を奪われる。そんな苛烈な争奪戦が繰り広げられる中、菊地は鶏を人間社会に例えてこう解説する。「小さいヒヨコの段階でこうしてタンパク源を与え、奪い合いをさせる。そうすると餌に貪欲なたくましい鶏に育つ。これをヒナのときにやらないと、大きくなってから餌を与えても、後で俺食うやみたいなひ弱な鶏になってしまう。人間も同じで適度に競争させないとダメですよね」。

ひとつの部屋に鶏を多く入れ過ぎると、いじめや喧嘩が始まりやすいとも菊地はいう。これも子どもたちの学校の状況と似ている。だから、菊地はストレスがかからない適正な数にすることを心がけている。都会に活力がない人間が多いように見えるのも、密集して暮らしていることや、満員電車で通勤していることとも無関係ではないと感じる。「田舎で一番いいのは、隣の家と距離が離れているので、音とか気にならずストレスがたまりにくいこと。都会の人ももっと隣と離れて暮らしたらいいのに、物理的にそれはできないですよね」。

 

野菜を食べて育つ鶏

菊地の物々交換は変幻自在だ。ときに、トラックのレンタルと卵を交換することもある。歯がない鶏は、食べたものを胃袋ですり潰すために小さな石を食べる。この石は採石場から買ってくるのだが、その際、土建屋の社長で『そうま食べる通信』編集長の小幡広宣が「卵と交換でいいよ」と2tトラックを貸してくれる。

餌を煮込む燃料の薪と卵を交換することだってある。風の強い相馬では防風林が巡らされている民家が多いのだが、親から子への世代交代を機に伐採されることが多い。しかし、捨て場に困る。「引き取ってくれるだけでもありがたいのに」と言われながら、菊地は卵か野菜と交換という格好にする。

鶏の餌の自給にかける菊地のこだわりは尋常ではない。物々交換以外にも、自然からの採集を自らしている。夏になると、菊地は鍬を持って海岸に行き、海藻をとってきては鶏の飲み水に混ぜて、夏バテ防止に効果があるミネラル分を摂取させる。通常、規模の大きな養鶏農家はインドネシア産などの海藻粉末を購入するのが一般的だが、「そういうことやって自給率アップを叫ぶのって変じゃないですか。よその国に頼ってないと回らない農業っておかしい」と、菊地は考えている。

採集以外にも、自ら生産することで餌を生み出している。夕方、畑にやってきた菊地は「これ、ぜんぶ鶏の餌です!」と、目の前に広がる畑をびっしりと埋め尽くした白菜とキャベツを指差した。鶏の餌用に2反歩の畑を耕作している。夏場は1時間かけて刈り取った草を餌に与え、草がなくなると冬場はここで育てた野菜を鶏に一日2回食べさせている。昨年はキャベツの値段が高騰して一個300円だったが、それでも一日30個のキャベツを餌にあてていた。「これはほんとに自慢できますね。これだけ餌用の野菜用意している養鶏農家、いないでしょ。野菜農家から養鶏農家になった自分だからこそできること」と、菊地は自負する。


その2につづく


 


東北食べる通信

月刊
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東北

編集部が東北中を駆け回って惚れ込んだ、農家さん・漁師さんの物語をお届けします。茎付きのサトイモ、殻付きの牡蠣…一緒に届ける食べ物もなるべく自然に近い状態にしています。ぜひ家庭で畑や海の香りを楽しんでください。

運営者情報

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〒025-0096 岩手県花巻市藤沢町446-2
TEL:0198-33-0971
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運営責任者:岡本敏男

連絡先:info@taberu.me

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