【バックナンバー公開】大阪食べる通信|堺市「大阪ウメビーフ」を育てる原野親子の物語(1/3)

 食べる通信で過去に特集した記事をご紹介する「バックナンバーアーカイブ」。今回は『大阪食べる通信 第2号(20193月)』で特集した、大阪府堺市内で育った大阪のブランド牛肉「大阪ウメビーフ」を育てる原野牧場の原野親子の物語です。

 住宅街の真ん中で、大阪初のブランド牛「大阪ウメビーフ」という黒毛和牛が、約100頭も育てられていることは大阪人でも知る人は多くない。

 代々続く肥育農家である「原野牧場」はその大阪ウメビーフのブランドを守りながら、次の世代にバトンを渡そうとしている。そんな親子の伝承の話や、都会の真ん中で牛を飼ってる理由、そして大阪ウメビーフの誕生のストーリーをお楽しみください。

 全3回に分けて公開しますので、ぜひ最後までお楽しみください。

その2|9月5日(土)公開

その3|9月6日(日)公開


大阪の誇れる生産者と食材を紹介します。

大阪食べる通信 第2号

(2019年3月発行)


牛は裏切らへん、手をかけたらかけただけ返してくれる

 原野牧場の牛たちはおだやかで人懐っこい。牛の世話をしているときが一番落ち着くと四代目・原野祥次さんは言う。「牛の歯を見たら牛の年齢がわかるんやで」と、牛の大きな口に手を入れて歯を見せてくれた。「この牛は、四歳になりかけや、なあ」五年前に跡を継いだ五代目・作啓(さくひろ)さんもうなずいている。牛は口を無理やりあけられても平気な顔で大きな口を開けたまま、安心しきっている。毎日見ているからこそ、牛の小さな変化を発見できる。エサをちゃんと食べているのか、熱はないか、腹を壊していないか、風邪をひいていないか、ほんのわずかな兆候から牛のコンディションを把握し、必要な処置を行う。手をかけただけ牛は返してくれる。牛は裏切らない。

堺市で牛? 牛が百頭いるのに臭わない? 

 堺市は大和川を挟んで大阪市の南に隣接しており、最近では大仙陵古墳などの古墳群が世界遺産に登録され、歴史の町として知られるようになった。「もののはじまりみな堺」と言われるほど堺市の歴史は古く、十六世紀後半には国際貿易都市として栄えた。今でも人口80万人を超え、大阪府第二の都市である。そんな堺市の中心で牛を育てているところがあると言うと、大阪人でも「ほんま?」「へえ〜」「知らんかった」という答えが返ってくる。

 堺市の真ん中にある原野牧場では、約百頭の黒毛和牛を育てている。牧場の周辺には住宅が密集しており、そこに百頭もの牛がいるとは、牧場の前を通ってもなかなか気づく人はいない。「ときどき空き地やと思って、不動産会社の人が土地売ってくれって来るんですよ」と四代目・原野祥次さんは笑う。ここで牛を飼育していることに気づかないのには訳がある。門の外はもちろんのこと、牧場の中に入ってもまったく家畜の臭気がないのである。初めて訪れた人は、まずそのことに驚かされる。思わず大きく深呼吸をしてみたが、まったく臭わない。「なんで臭いがしないんですか?」と聞くと「水が違うからやね」と即答された。その水とは、水道水に自然石を配合したセラミツクを利用して活性化させたものだ。酪農家から乳牛の乳の出がよくなったからと紹介されたのがきっかけだった。その水を飲ませることで、牛の臭気を抑えることができたのだという。購入したばかりの子牛も最初は臭気が残っているが、ここで育つうちにだんだん臭く無くなっていく。そしてこの水は臭いだけでなく、牛の肉質をあげることにも効果があった。いい水を飲ませることで、牛の腸内環境が整い、健康な状態を保つことが出来たのだ。

昔の晨家はみんな牛を飼っていた

 それにしても、なぜ、堺の住宅地で牛を飼っているのだろうか。たくさんの牛を飼うのだから、周囲にも気を使わなければならないし、気苦労も多いはずだ。疑問を投げかけてみた。「昔の農家はみんな牛を飼ってたんやで。耕運機がなかった時代は、田んぼを耕すのは牛の役目やったからね」昭和三十年代までは牛に鍬をつけて田を耕したり、荷物を運搬させたりと牛は農耕作業には欠かせない存在だった。そう、今は住宅地となっているが昔は一面田んぼや畑が広がっていたのだ。好きでこの住宅地で牛を飼ってるのではなく、牧場の近辺が住宅地化してしまったのである。


その2へ続く|9月5日(土)公開


『大阪食べる通信 第2号(2019年3月発行)』より特集記事を抜粋

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(次回2020年9月発行の第8号は、池田市の井関農園・井関さんが育てたアイガモ農法の「お米」を取り上げます!〆切は9/8火曜日正午まで!)