【バックナンバー公開】ふくおか食べる通信・創刊号|福岡県朝倉市・秋吉智博さんの物語(3/3)

ふくおか食べる通信_秋吉さん正面写真

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記録的豪雨

2017年7月5日

夕方から降り出した雨はバケツをひっくり返したような勢いで地面を叩きつけ、止む気配を全く感じさせる事なく降り続いた。夕方6時頃、自宅に戻った智博さんは家族全員が帰宅している事を確認するとスマホで情報を収集し始めた。この時すでに家は停電状態。真っ暗な中で間断なく続く激しい雷鳴と屋根を叩く雨の轟音になすすべなく不安な夜を過ごした。翌日、雨が小康状態となり近隣の状況を確認すべく外出した智博さんは目を疑った。大きくえぐられた山肌。その崩れ落ちた山の斜面は木々を巻き込みながら果樹畑や田んぼを通過、支流を伝って本流に流れ込んでいた。ところどころで大量の流木が橋の欄干に覆いかぶさるように堰き止められ、行き場を失った濁流が次々と街中へと溢れ、家屋を飲み込んでいた。

ふくおか食べる通信_九州北部豪雨被害2

▲流木が流される様子(智博さん撮影)

柿畑の状況が気になった智博さんは柿山に向かった。しかし、柿山に続く道は流木や土砂で寸断。場所によっては道路そのものが陥没、もしくは流出しており柿山に行く術は完全に失われていた。

ふくおか食べる通信_九州北部豪雨被害3

▲撤去できずにそのままになっている流木

百の姓(かばね)

智博さんの住む政所地区は幸いにも家屋への被害は少なかった。しかし、20戸足らずの柿農家が暮らすこの地区で柿畑に行けない事は柿の管理ができない事になり死活問題となる。「行政を待っていても、ここは後回しになる。自分たちでなんとかせねば」高齢な柿農家が多いこの地区で、数少ない若手の智博さんは地区の住民に声をかけながら復旧作業に当たっていた。

道路を遮っている杉の大木や土砂の除去は人力ではとても無理。重機を借りてきての作業となった。その間も瞬間的な豪雨や二次災害に気を配りながらの作業が続く。困難を極めたのが道路の陥没、流出だ。土石流が襲ったその場所は道路があった形跡さえも残っていないような状態。智博さんは地区の人達と相談し、新たに自分たちで道を作るという決断をした。

「百姓」という言葉は百の姓(かばね)と書く。我々は単に農家さんの別の呼び方くらいの認識だが、実はこれは百もの仕事が出来る人達という説がある。道を作ると一口で言っても、専門知識も何も無い中、容易な事ではない。しかし柿畑に行く手段がそれしかなければやるしかない。それをやってしまうのがお百姓さんの凄みである。

智博さんは柿畑を一部潰し、斜面をうまく利用しながら少しずつ道を作っていった。その距離約200m。豪雨から約2週間後、急な勾配があり、砂利道ではあるものの、軽トラックが通れる素晴らしい道が完成した。

ふくおか食べる通信_秋吉さん後ろ姿

大地に根を張る

道ができた事によって柿畑の全貌を把握する事ができた。約20%もの柿畑が被災していた。裏山の山肌が崩壊し杉の木もろとも、土砂が柿畑を埋め尽くしていた。泥流が柿畑に押し寄せ、一面泥没している柿畑もあった。しかし土砂と一緒に流出した柿の木はわずかであった。多くの杉の木が柔道の足払いをされたように土砂とともに簡単に流出した事と比較すると驚くべき事だ。柿の木の根は大人の腕ほどの太さがあり、それが数メートルも四方八方に伸びている。まさに根を張っているという状態だ。この柿の木の根が柿山の地盤を強固にし、柿の木の流出を防いだのだろう。豪雨に耐えた平均樹齢4〜50年の柿の木は、静かにたたずんでいた。

自然相手やから受け入れりー

智博さんに、あの未曾有の豪雨被害を経験し何を感じたか聞いてみた。「かみさんが、よく『自然相手やから受け入れりー』って言うんですよ」智博さんと接していると、明るい笑顔の奥に意志の強さが垣間見える事がある。母親のマチ子さんも「あの子は頑固ですもんね」と語っている。柿の不作に見舞われた年も、自分の実力不足、技術不足と自分に厳しい。しかし、自然は時にあまりにも無慈悲にその努力をあざ笑う。今回の豪雨被害もそうだ。そんな時、「自然相手やから受け入れりー」と智博さんに諭してくれたのが、彼を支える妻の綾さんだ。綾さんは、実にあっけらかんとしてこう語ってくれた。「自然相手だからしょうがないですもんね。農家に嫁いで10年、身にしみて感じています」

自然に抗うのではなく自然を受け入れる、そして自然と調和していく。

それが農業の基本だという話を、綾さんは当たり前のよう話す。「農家はつらいですよー。暑いし、寒いし」と事も無げに語る綾さんは実に明るい。

我々は科学の力で暑い、寒いに抗っている。それ自体、自然に抗っている事に他ならない。抗い続けてきた結果、自然との回路が分断してしまった事に気付いていないのではないか。綾さんの言葉は実にシンプルだ。

しかし、自然が遠い存在となってきている我々都市住民にとって充分すぎる問題提起ではないだろうか。

安心してかじれる柿

豪雨から3ヶ月ほど経った10月初旬、智博さんの柿畑は徐々に柿の実が赤みを増していっていた。智博さんの柿畑を歩くと畑が実にふかふかしている事に気づく。「除草剤は使いません。草は全て機械で刈ります。刈った草はそのまま緑肥として使い、また化学肥料もほとんど使いません。提携している養豚所からもらう堆肥をたまに使う程度で、管理作業さえ、しっかりすれば、十分に肥大した柿を実らせてくれます。自然環境の利用で、農薬と化学肥料に全てを頼らなくても良い環境を作ることができました」。

智博さんは続けて「うちの畑には農業試験場の研究員が虫を採取しにくるんですよ。柿の害虫を食べる虫です。つまり、柿の害虫の天敵がうちの畑には多くいるんです。試験場や他の柿畑にはいないそうです」「農薬を減らした事で一時的に害虫も増えましたが、それを食べる天敵の虫も増えて、結果的に害虫は減りました」。柿畑をより自然に近い状態に近づける。それが理想だと秋吉さんは語る。

そして極めつけの一言。「農薬を減らした方が柿は甘くなるんですよ!」「農薬は植物を皮膜し日光を遮断します。そうすると植物の光合成を抑制する事になり、これは柿の生長にとってマイナスです。植物の光合成と微生物や小動物が活発に生きる土が、甘い柿を育てるんだと思います。やはり、お客さんには安心してかじれる柿を食べてもらいたいですね」。

ふくおか食べる通信_柿アップ2

3人4脚

最後に将来の事について聞いてみた。「まずは続ける事。自分でやるって決めた時に60歳まで続けると決めましたからね」北部九州豪雨による被災者への支援の和は広がっている。しかし実は被災農地への支援はまだまだ不十分である。農地の被災申請は農地ごとの申請が必要で、その手間とコストは馬鹿にならない。「被災した柿を一旦諦める勇気が必要かもしれません。もう一度一からやり直し、10年後に柿の実を復活させる事にかけなければならないかもしれません」そして若手の育成についても夢を語った。「この地区で40歳未満の柿農家は私だけです。しかしもう自分だけではこの地区の柿畑を引き受ける事はできません。想いのある若手、柿栽培を楽しめる若手が現れてほしいですね。そういう人と一緒にやりたいです」

秋吉家は女性が明るい。母親のマチ子さん、妻の綾さんが実に仲が良く、作業場はいつも笑いが絶えない。この二人に支えられた智博さんの挑戦を筆者は今後も応援していきたい。「いいものはいい人が作る」という言葉がある。これに加え「いい人はいい家族が作る」という言葉が浮かんできた。妻の綾さんの取材を、傍らで見つめる智博さんの優しそうな笑顔がとても印象的だった。

ふくおか食べる通信_正面遠く

以上


ふくおか食べる通信 創刊号(2017年11月発行)より特集記事を抜粋

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