協力隊の任期中にできることを考えた時、その活用を思いついた −−『魚沼食べる通信』編集長・井上円花

『魚沼食べる通信』編集長の井上円花さんは、2014年4月に地域おこし協力隊として魚沼市に赴任してきた。井上さんが暮らす大白川地区は、冬場の積雪が4メートルを超えることもある日本有数の豪雪地帯という。『魚沼食べる通信』は2015年11月に創刊。地元の読者が8割を占め、電話や注文書などオフラインによる申込比率が極めて高いことが特徴だ。

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■大白川集落は憧れの田舎、2つのスキルを地域で活かしたい

――そもそも井上さんが魚沼に来たきっかけは何ですか?

私は東京の文京区で生まれ育ちました。実家は東京ドームの近くで、私には田舎と呼べる場所がない。だからずっと田舎に憧れていました。大学時代は4年間、米国オクラホマ州の大学に留学しました。卒業後は「日本に帰ってきてほしい」という祖父母の言葉がきっかけで帰国し、アクタスというインテリア関連会社に就職しました。

アクタスでは約4年間、家具のバイヤーの仕事をしていました。6億円ぐらいのビジネスを任されて、すごい量を仕入れるんですよ。発注した商品を倉庫に入れて、トレンドのものをさばいて、在庫品はセールをして。そういう仕事をしていたのですが、そのなかで私はなんとなく現実味がない違和感のようなものを感じていました。

inoue-madoka-22013年2月に会社を退職しました。アクタスでビジネススキルは身についたし、今の時代ならばどこにいても仕事ができるだろうと。私はいずれ独立して、子供を背負いながら両立できる仕事をしたいと思っています。でも、会社に勤めているとそれが難しい。サラリーマンはどうしても会社に縛られます。東日本大震災が起きた時も仕事を休むわけにはいかず、ボランティアに行きたくても行けなかった。会社を辞める前年に祖母が亡くなりました。その時、これからは自分がやりたいことをやろうと決めたんです。

――会社を辞めてからどんなことをしていたんですか?

退職して岩手にボランティアに行って、その後は職業訓練校で1年間、木工技術を学びました。私はインテリアや家具が大好きでライフワークにしたい。バイヤーの仕事をしていた頃に出会った職人さんたちがすごくカッコよくて、私は木工に興味がありました。職人さんのなかには熱い想いを持つ人がたくさんいるのに、マーケットの流通に乗せると何も見えなくなってしまう。だから木工技術を学んで、マーケターとして素晴らしい職人さんを紹介する仕事をしたいと思ったんです。

学校が終わってその先を考えた時、独立の準備期間として、田舎で暮らそうと思いました。発展途上国に行くことも考えたのですが、過疎化や高齢化問題を抱える現在の日本で、地域の活性化に取り組むほうが自分の力を活かせると思いました。地域おこし協力隊を募集していた魚沼市の大白川地区は、木工所の再生を掲げていて私の希望にぴったりの場所でした。私は山の近くや雪が降るところに住みたかった。実際に区長さんとお会いすると熊狩りの話が面白くて、ここで暮らしたいと思って飛び込みました。

■魚沼暮らしの始まり、木工所の再生は手探り

――赴任する前にも魚沼に来たことはあったのですか?

なかったですね。2014年2月に地域おこし協力隊の面接で初めて現地を訪れました。その時は各地域をぐるりとまわって車の中から見ただけ。すごい雪だなと思いました。私が魚沼に移住する時、家族や周囲の反対はなくて、自然や登山が大好きな父は喜びました。私がこちらにいると泊まる場所があるし、山を縦走できるので、父はよく山登りに来ます。

大白川地区では木工所の再生が私のメインの仕事ですが、実際に来てみると、まったく木工所が使われていないし、機械も動かない。集落の人も別に動かしたいと思っていない。それが課題でした。私は当初、木工所に職人さんがいて、どうやってうまく稼働して、どう販売するかが自分のミッションだと思っていたんですね。木工所を動かしたいのか、閉めるのか、方向性を判断するのも集落にとって大事なことで、時間をかけて取り組んでいます。現在は新たな職人さんが来てくださって、都会の子供たちのワークショップを受け入れるなど、体験型施設として木工所を活用する機会が少しずつ増えています。

■魚沼でグラウンドに降りるためのツールを探していた

――井上さんが「食べる通信」を知ったきっかけは?

地域おこし協力隊になって半年経った2014年11月、私は『四国食べる通信』副編集長の吉田絵美さんに会いに行きました。絵美さんはアクタスの先輩で、会社を辞めた後に徳島県三好市の地域おこし協力隊になっていたのです。現地で『四国食べる通信』の取材に同行させていただくことになり、「食べる通信」の存在を知りました。「魚沼でもやってみたら面白いのに」。絵美さんとそんな会話を交わしたことがきっかけで、私は日本食べる通信リーグの事務局にコンタクトを取りました。

当時、魚沼地域にはパッと手に取りたくなる情報が詰まった媒体がありませんでした。魚沼でそういうものを作りたいと思っていた時に、「食べる通信」と出会ったのです。魚沼は雪が多くて、四季がはっきりしています。この地域は標高差があるので、お米の味も場所によって違うし、魚沼の人はどこに行っても「うちの米がおいしい」と言うんですよ。

魚沼市は平成の大合併で6つの町村が合併して生まれた町です。これらをつないでひとつの情報として届けられたら魚沼の魅力になる。『魚沼食べる通信』は、特集する米農家さんに自分の作ったお米に合うおかずや、他の生産者を紹介してもらっています。旧6町村をまたいで紹介するので、地元の人が読んでも面白いと思います。

――井上さんが『魚沼食べる通信』を立ち上げようと思った動機は?

「食べる通信」の高橋博之代表が世の中を変えるにはまず、グラウンドに降りようとおっしゃるように、私もみんなにグラウンドに降りてきてほしいんです。地域おこし協力隊の仕事をしていると、なんでも協力隊まかせで私たちが何かやるだろうと思われがち。そうじゃなくて、地元の人たちがやろうとすることに協力するのが協力隊の本来の仕事です。でも、グラウンドに降りても何をしたらいいのかわからない人がたくさんいます。そのためにはツールが必要で、そのひとつが「食べる通信」です。

協力隊の3年の任期で私にできることを考えた時、「食べる通信」を活用すれば、生産者や地元の人がグラウンドに降りて輝けると思いました。それぞれの得意分野で、誰もが主役になれる場をつくって、自慢の食材と一緒に魚沼の情報が届けられたら地域の活性化につながると思うのです。

■『魚沼食べる通信』を創刊、時流に乗るスピード感を重視

――『魚沼食べる通信』を立ち上げるまでに大変だったことは?

inoue-madoka-3発行元を探すのが大変でした。地域のコミュニティづくりのツールとして創刊に協力してもらうため、プレゼン資料を作って地元の農協や第三セクターなどを訪ねました。最終的に、地元で観光・交流事業を手掛けている「魚沼市地域づくり振興公社」が発行元に決まりました。『魚沼食べる通信』を通じ地域のコミュニティをつくることが、発行元のニーズにマッチしたのだと思います。

創刊するならば、昨年の秋(2015年11月)しかないと思っていました。「食べる通信」は前年にグッドデザイン賞を受賞したので、その流れに乗るスピード感が大事です。手探りの状態であっても、今年始めなければ来年はどうなるかわからない。とにかくやってみよう、まずは何か形にすることが、地域にとってプラスになると考えました。

『魚沼食べる通信』は地元の人たちが主役です。魚沼地域が活性化するためのツールであってほしいので、できるだけ地元の人たちの力を活用するつもりです。今は私が編集をしていますが、地元の人に寄稿してもらったり、地元の中学生にも誌面づくりや企画会議にどんどん参加してもらいたいです。

――創刊前に一番悩んだことは何ですか?

「食べる通信」を創刊するには、日本食べる通信リーグの審査会議を通過する必要があります。その場でプレゼンテーションできる時間は10分だけ。ポイントを絞って資料を作る作業が一番大変でした。

――創刊して地元の人の反応はどうですか?

かなり反応がありました。地元の読者に「すごくよかったよ」と言ってもらえて嬉しいです。副市長にも『魚沼食べる通信』をPRしていただきました。地元の人のなかには遠くで暮らす息子に送っている人もいます。

■地元読者が8割、オフライン比率は「食べ通」トップクラス

――『魚沼食べる通信』の場合、ネットとオフラインの読者比率はどのくらいですか?

inoue-madoka-4創刊号はインターネット経由が18件で、オフラインで申し込んだ読者が102件。地元読者が全体の約8割を占めています。魚沼地区の場合、送料なしの市内引き取り価格があります。申し込みは電話やファックス、メール、手紙でも受け付けています。私自身は外部にあまりPRをしないで、地元の読者を増やすことに力を入れています。地元の人が『魚沼食べる通信』を知らないのは困りますから。口コミが多くて、PRといえば市報や地元紙に取材してもらうぐらいです。地元の人が営業となり、どんどん外にPRしていくことを狙っています。

『魚沼食べる通信』のオフライン比率が高いのは、地域おこし協力隊の隊長が魚沼市の行政関係者に口コミで伝えてくれたことも大きいですね。オンラインだとなかなか成約につながりませんが、オフラインならば地元の人はすぐに読者になってくれます。私の住む大白川集落の区長さんも直接申し込みをしてくれました。

地元のみなさんは思った以上に協力的です。逆に応援してもらいすぎるぐらい(笑)。本当は「あんなよそ者に負けるか」と地元の若者が立ち上がるのが地域おこしの一番の理想だと思います。地元の人たちは全然関係のない若者が来ても喜んでくれるけど、やっぱり私たちは地元出身の人たちにはかなわない。私はよそ者で、一人では何もできないから『魚沼食べる通信』というツールになるべく多くの人を巻き込みたいんです。

――単号あたりの黒字の目安となる読者数は?

約150人です。事業として黒字化するためには、300~400人ぐらい必要ですね。

――今後のビジョンや課題は?

今後は私の編集のウエイトを下げつつ、誌面づくりでいろんな人に参加してほしいです。地元の人が『魚沼食べる通信』をやりたいと手を挙げたらやってもらえばいいと思うし、『魚沼食べる通信』を潰してやるというライバルが地元で出てきたら、相手が軌道に乗るまで私たちも負けないで勝負します。地元の中学生も喜んで誌面づくりに参加してくれて、「魚沼の雪を保冷材にして届けたらどうか」とか、いろいろなアイデアを出してくれるんですよ。『魚沼食べる通信』ではそういう声をひろっていきたいです。

米農家にとって、生産者と消費者が直接つながるCSAの取り組みは絶対に必要です。今後進めていくためにも、魚沼市外や身内以外の読者を増やしていきたいです。『魚沼食べる通信』をきっかけに、勝手に読者と生産者が友達になってつながってくれたら理想ですね。魚沼のファンコミュニティづくりや活用も考えたいです。

■なぜ「食べる通信」を創刊するか、ぶれない軸と独自性

――「食べる通信」を創刊する人に向けたアドバイスは?

inoue-madoka-5リーグ運営会議で創刊希望団体のプレゼンを聞いていると、どれも似通っているように感じます。田舎は水やお米がおいしくて景色もきれいで……ほぼ条件は一緒だと思うんですよ。そのなかで「食べる通信」でどんなことをしたいのか。コンセプトの軸や独自性を明確に詰めたらもっと面白くなると思います。

私の場合はそれが地域おこしでしたが、軸があると面白いし、ぶれない。最初に読者を獲得するのは難しいです。もともとのコミュニティがあれば別ですが、私のように移住していきなり200~300部を目指すのは厳しい。そういう時になぜ自分は「食べる通信」をやるのかというコンセプトが明確ならば、負けずにやっていけると思います。単にこの食べものを伝えたいから400部とか言っていると、ビジネスとして成り立たないし、心が折れるんじゃないかな。どこに行ってもおいしい食材はあるし、面白い人はいます。同じようなものがあふれて地域差だけになると、どの通信を購読すればいいの?と。読者を奪い合ってもしようがないと思うんです。

――コミュニティも市場もそれぞれの「食べる通信」が開拓していかなければ、レッドオーシャンになってしまう。独自性を持つことは大切ですね。

食材以外にもう一歩踏み込んだものがあると面白いと思います。そう簡単にうまくいかないから、自分の目指すものに対する耐えどころを戦略的に考えておいたほうがいいですね。

――地域おこし協力隊や、移住を考えている人にアドバイスはありますか?

地域に溶け込むには、よそ者としてなるべくなかに入って、地元の人と仲良くなって教えてもらうこと。自分が得意なことを冷静に分析し、需要のあるところにフィットさせるのが一番いいと思います。私の場合、「食べる通信」は自分にフィットして、今の時代の流れにも合っていたのでしょうね。できないところは人の力を借りて、自分が楽しめる得意分野で勝負できることをやればいいと思います。そういうことを地元の人にもしてもらいたくて、私は『魚沼食べる通信』を立ち上げたのです。

(取材・文:高崎美智子、写真:浅井利彦)

 

■プロフィール

inoue-madoka-prof井上円花(いのうえ・まどか):1986年、東京都文京区生まれ。米国オクラホマ州の大学を卒業後、アクタスで家具のバイヤーとして4年勤務。2013年2月に同社を退職し、職業訓練校で木工技術を習得。2014年4月から新潟県魚沼市の地域おこし協力隊として大白川地区に赴任。2015年11月に『魚沼食べる通信』を立ち上げる。

※『魚沼食べる通信』は、2018年2月号をもって休刊しています。
  このインタビューは2016年3月3日に掲載したものです。