もっとみんなが農家さんの現場に行ったら、「変わるかもしれない」と思っていて。−−『京都食べる通信』編集長・鈴木晴奈

生産者との交渉から、取材、執筆、誌面デザインまで手がける『京都食べる通信』編集長・鈴木晴奈さん(32)。自然に翻弄される現場に身をおく日々のなかで、自身の内面に大きな変化を感じていると語る。京都というブランドを掲げているからこその葛藤を抱えながら、今、伝えようとしている思いとは。

■編集の頭を使いつつ、デザイナーとして手を動かす

—— 鈴木さんのご出身は福井県ですよね。もともと農業や漁業は身近な存在としてあったのですか。

同級生の実家は兼業農家が多かったので、公務員や銀行などで働きながら、ゴールデンウィークは田植えの手伝いをして……というような人は周りに当たり前にいましたけれど、私自身が一次産業としっかり向き合うのは、この仕事が初めてです。

—— 京都の大学に進学され、京都でお仕事し続けていらっしゃるとのことですが、それは京都という土地が以前からお好きだったからでしょうか。

いえ、本当に行きたかったのは名古屋の美大で、そこに入れなくて京都の大学の建築学科に入りました。入ってみて、私は図面を書くのが本当に苦手なんだとよくわかってしまったんですが、建築を学んだことは無駄ではなかったと、あとになってつながりましたね。卒業後は建築ではなく出版の道を選んで、編集プロダクションで京阪神の観光ガイドブックやウェブ制作の仕事をしていました。そのなかで寺社仏閣の記事を書くとき、日本建築史で学んだことが生きたんです。この庭園は借景でこうなっていて……というように。他にも、割烹や漬物のような京都らしい食に触れる機会が増えたり、伝統工芸の職人さんの取材をしたり、京友禅が売れなくて困っているという話から、イベントを企画したり。そういう仕事を通してようやく、京都の文化っていいなあと好きになっていきました。だから、時間はかかっているんですよね。そのあと一度、福井に帰ってテキスタイルデザイナーの仕事をしたあと、2016年7月に今の会社に入りました。

—— 『京都食べる通信』の担当として入社されたのですか。

ちょうど私が面接を受けていたころ、『京都食べる通信』の創刊審査を控えていて、立ち上げの話もその面接で聞きました。たまたま私は『四国食べる通信』(※休刊中)を購読していたので、「やってみる?」となって。面接に受かってすぐ、食べる通信リーグの会議で周防大島(山口)に行ったんですよ、右も左も分かっていないのに(笑)。創刊して、はじめは裏方として編集、ライティング、デザインをしていたのですが、2017年1月に編集長になってからは制作から発送まで携わるようになりました。

—— さらっとおっしゃいましたけれど、デザインまで全部するというのがすごいですね。

私のことをライターだと思っている方も多くいらっしゃるのですが、私自身は、これまで紙面やウェブの編集、テキスタイルの商品企画をやってきて、デザイナーとして仕事をしていると思っています。ただ、商品企画などもそうですが、つくる過程においてはすべて「編集」が入るんです。その意味では、編集の頭を使いつつ、デザイナーとして手を動かすことをずっとしてきたという感じです。入社して2年は、あっという間でした。私はホテルの広報として入社するつもりでいたのに、まさか生産者さん探しをするようになるとは(笑)。

■値段だけで判断され、シビアな反応が返ってくることも

—— 『京都食べる通信』は、いわゆる寺社仏閣のような、誰もがイメージする京都ではない京都の魅力を、農業漁業を通して伝えようとしていらっしゃいますよね。そのコンセプトは、創刊前から固まっていたものだったのですか。

そうです。それを、「世界がワクワクするまちづくり」を目指し、地域に根ざしたホテルを経営する私たちが創刊するというのは納得感がありました。

—— 以前に旅行誌などのお仕事で京都の食に関わっていたとはいえ、農家さん、漁師さんとの接点は……。

まったくないです。旅行誌は、ほぼ京都市の中心部だけでつくっていましたから。生産者さんは、がんばっている方であればやっぱり目に留まるので、気になる方がいればすぐに会いに行くようにしています。そして話をしてみて、その方の熱量に心打たれて、取材交渉をします。また、社内スタッフで取り上げたい食材を食べるようにはしていますね。私はどうしても書き手目線で判断してしまいますけれど、実際、読者の方には食べものも送るわけですから。ホテルの料理人に「原価率が厳しい」なんて言われてしまうこともあって、そういうときは、いったん寝かせて考えなおしたりもします。「食べる通信」では足が早すぎたり輸送に耐えられなかったりで特集できない、という結論になったときは、ホテルの宴会のお料理に使ってもらうなどして、「食べる通信」以外のところで活かせるようにしています。

—— ホテルにとっても、地元の食材率が上がるのだからよい話ですよね。掲載を機に、ホテルで継続的にお取り引きするようになったものもあるのですか。

あります。「食べる通信」を通じて出合った食材は基本的に旬が短いので、なかなか通年で使えるものは少ないのですが、特集した食材はフェアメニューとしてご提供しています。例えばホテル カンラ 京都にはレストランが3店舗あるので、9月だったら「久美浜の梨」をそれぞれにカクテルにしてもらったり。ホテル アンテルーム 京都では不定期で夜にオープンする「ゲリラ食堂」を開催しているのですが、そこで「城陽いちじく」を使ったかき氷をご提供したり。創刊して2年経って、やっとそこの連携をしっかりできるようになってきました。タイミングが合えば一緒に取材に行くこともありますよ。

—— そのように社内での理解が深まる一方で、読者の方々はいかがですか。いわゆる京都のイメージを越える部分を知ってもらいたいという創刊時の志が、受け止められている感触はありますか。

そこは難しいところで、やっぱり京都らしいものが好まれるなあと実感しています。お茶や賀茂なすの特集などは、すごく反応がよかった。逆に日本全国でつくられているような、差別化がしにくい食材の場合、値段だけで判断されてシビアな反応が返ってきたりもします。一方で、マイナーな食材に意外な反響があったりもするんです。例えばわかめなどは、京都産なんて聞いたことがないという人がほとんどですけれど、「風味が違う」と言っていただけたり。おじいさんとおばあさんの二人でやっているから、ちょっとしかないんです。天然もので、海が荒れたら収穫できないから本当に希少で。普段だったら絶対に流通しないようなところにお送りしましたから、それは、やはりみなさん喜んでくださいましたね。

■京都外の食べものが流れ込み、顔が見えない現状がある

—— 2年間、京都の一次産業の世界に触れてきて、どんなことを感じていますか。

京都のすごいところは、「振り売り」といって生産者さんがお得意さんのお家を一軒一軒回って自分で売り歩く文化がまだ残っていることです。また、JAさんがブランド野菜の種を守り、他の地域に盗まれないような体制を取っていたり、オーガニック系の生産者さんたちがグループを組んでがんばっていたりもして、いろんな層がうごめいている印象ですね。

もうひとつの特徴として、京都には大消費地という側面があって。割烹だったり百貨店だったり、売り先は結構豊富にあるんです。だから、生産者さんのなかでも、困っている人とそうではない人の差がかなりあるように思います。ブランド京野菜は、売り先が充分にある一方、こだわりを持ってやっている小さな若手生産者さんは販路開拓に悩んでいたり。

—— それは京都特有の状況かもしれませんね。

はい。読者の方からは、京都らしい食材のニーズがある一方で、廃業せざるを得ない農家さんがいるという現実もある。聞くと、オーガニックなものを生産しているんだけれど、量が少なくて価格競争で戦えないとか、価値を伝えきれていないとか……そういう人の助けになりたい思いもあります。だから毎号、何を取り上げるべきかは考えさせられます。

京都の農家さんには、ブランド京野菜のような高値で売れる作物があって、それをたくさんつくって着実に年数を重ねていくスタイルがある。30年ほど前、京都府としてそういう歴史ある京野菜をきちんと定義し、ブランドをつくり上げた結果として、今、専業でもやっていける農家さんがたくさんいらっしゃるわけです。それはとてもよいことだと思います。ただその一方で、それらが私たち一般の消費者には日常的に買えない高級品になっていたりもします。

—— 一般の生活者の日常から、少し遠くなっている部分もあると。

ブランド京野菜以外にも、実は京都府内のいろいろな市町村で、いろいろなものが生産されているわけだから、そこをもっと知ってもらいたいという思いがあります。また、京都にも大手スーパーはたくさんあって、京都外の食べものがダーッと流れ込んでいて、誰がその食材をつくっているのか、顔は見えないことが多いというのが実情です。 一消費者としては、日常的に食べるものの「顔が見える」状況がよいと私は思うので、そういう「顔が見える」ものを『京都食べる通信』ではお届けしたいです。

——新規就農の農家さんなどは、いわゆるブランド京野菜には関われないのですか。

いえ、もちろんつくっている人もいますよ。ただ、伝統野菜は種がしっかり守られていますから、組合に入らないと種を分けてもらえない、なかなかつくるまでにハードルがあるということはあると思います。

■地球が相手。思いどおりにはならない

—— 今、編集長としてやっていらっしゃる鈴木さんの仕事のなかで、何に一番時間を要していますか。

異常気象に振り回されてますね。この夏は、地震、豪雨、酷暑、台風と農家さんにとっては最悪の夏だったと思います。自然は自分の思いどおりにはならないということを実感しました。

7月号の伏見とうがらしは、本当は7月20日あたりに発送する予定でいたのに、暑すぎて実がぜんぜん大きくならなくて。結局、一度全部の実を取ってもう一度花をつけてから、その実を大きくさせることになったんですが、今年はお盆すぎまで暑くて……。8月25日くらいからやっと涼しくなって少しずつ出せる状況になり、それを私たちは今(9月10日現在)も発送しているので、2ヶ月近く遅れているんです。逆に、次号の梨は急に1週間早まって、もう今週末には発送しなければならない。それは仕方がないことなんですよね。地球が相手ですから、誰も責めることができない。

こういうことが起きたとき、その事情を説明しても、クレームは来ます。遅れていた食べものをやっとお届けできるようになったとお知らせすると「今さらいらない」なんて言われたりもする。指定の時間に届いて当たり前の通販の感覚なのでしょうね。農家さんのこともわかってほしいという気持ちに、すごくなります。

——そもそも「食べる通信」が全体として目指しているのは、生産者と消費者をつなぐこと。食べものの裏側、生産の現場を知らない消費者の方たちに、知ってもらうこと。でも実際、そこを伝えて理解してもらうのは難しいことなのですね。

そういうご意見をいただくということは、『京都食べる通信』の意図を伝えきれていないということだと思います。私は毎号、冊子と一緒に生産者さんの手紙と、私の手紙を入れてお送りするんですが、その手紙を、意外とみなさん読んでいるということが、最近わかりました。つくっている私の思い、すごく大変だということを率直に書くことによって、現状がよくわかるから楽しみにしている……というコメントもいただけて。生産者の現状をより多くの方に知っていただけるよう、より工夫をしていかなければならないなと実感しています。

——京都はここ数年、自然災害が頻発している土地でもあります。

実は先日の台風21号で、特集する予定の農家さんのハウスが全壊してしまって。7月の西日本豪雨でも壊れていたのに、今回またです。全部はがされて、飛ばされてしまった。今、そういった状況もすべて載せて伝えるべきではないか、というようなことも話し合っているところです。

現場を回れば、いろんな場面で影響を感じますけれど、自分にできることがないんです。せめて被災したその農家さんのものを買わせてもらうとか、そのくらいで。例えば温暖化が原因で台風の威力がこんなに大きくなっているのだとしたら、自分にできることって、環境の負荷を考えてごみをなるべく出さないとか、水筒を持ち歩くとか、そんな小さなことですが、ちょっとでも環境のことを考えないと、結局自分に返ってくるんだということを、この仕事で切実に感じています。でも、どのくらいの方がこの話を聞いてピンとくるかというと、きっと、あまりこないのかなあとも思います。

——自分の日々の行動の一つひとつが、めぐりめぐって何にどう影響するか、見えづらいですからね。

そうなんです。だから今は、個人レベルでできることはしようと思っているだけです。ただ、もっとみんなが農家さんの現場に行ったら、変わるかもしれない、とは思っていて。

——実際、読者の方が現場を訪ねるようなイベントは開催しているのですか。

去年、企画していた小豆の収穫ツアーが雨で中止になってしまったんです。農家さんが高齢で、豆を摘むのが本当に大変だから「助けてくれ」と言われていて。10人くらい集まって、お子さんも連れて行こうと言っていたんです。だから、今年こそ実現したいですね。今の読者の方たちは、本当に「おいしいものを楽しみに」してくれていますけれど、さらに生産者さんの日常に興味を持って、体験してもらえたらと思います。

——自然に翻弄されている編集長は、他にもいらっしゃると思いますが、鈴木さんは特に、その体験を経てご自身が変化されている編集長なのだろうと思います。それを、読者の方たちに向けてもじかに話すような場が増えるのもよいかもしれませんね。

災害を目の当たりにしていますからね。やはり考えさせられます。

■本当に一次産業を変えたい意識のある人に創刊してほしい

—— 会社としては、『京都食べる通信』を事業としてどうとらえているのでしょう。

私たちUDSはまちづくりの会社として、どうしたらその地域を楽しくし、活性化に寄与できるか、という視点で事業を展開しています。京都でいえば、今まで人が来なかったようなエリアにホテルをつくり、人の流れを変えるとか。地方の活性化を考えるときには、その主要産業である農業漁業は、切っても切れません。そんな農業漁業の状況を知らずに、まちづくりにつながる場の企画や設計をすることはできません。「食べる通信」は、現在の地域の実情を知り意識を向けること、また実際に地域を訪れて体験することで、地域が抱える課題について考える一つのきっかけになるのではないか、と考えています。

私を含めですが、都市にいたら、生産現場のことなんて何も知らなくても、食べものには困らないし生きてはいけます。でも、食べものがつくられる現場を知ってほしいという想いで、私は伝書鳩として日々活動しています。社内のメルマガで「伏見とうがらしが収穫できません」「今、畑はこんな状況です」というように画像つきで流したりもしていて、毎回「すごく考えさえられた」と、声をかけられたり長文でメールをもらったりすることも増えてきました。

UDS代表の中川は、もっといろんな地域で「食べる通信」をつくればいいということを、常に言っていますね。UDSに限らず、各地で地域を盛り上げているホテルとかが、みんなやればいいと。そのくらい、地域のことを知るのによいツールだということです。

——鈴木さんご自身は、この先どういう人が創刊を目指すのがよいと思っていますか。

まちを変えたいという意識をちゃんと持っている人。そうでなければ続かないと思います。特に、企業がこの事業を始めると「CSRの一環でしょ」と軽く見られがちですけれど、実際は、めちゃくちゃ地道で泥臭い仕事です。それに耐えるには、本当に一次産業を変えたい、まちを変えたいという意識のある人でなければ無理だと思う。

——では、非常に大変な仕事ではあるけれど、各地で「食べる通信」がどんどん立ち上がっていくことには前向きであると。

もちろんそうです。それが最終的に「食べる通信」という形でなかったとしても、農家さんのためになるような取り組みが各地で生まれていけばいいなと思います。

■生きものだから、変わって当然

—— 先日、鈴木さんは「平成の百姓一揆」(日本食べる通信リーグ代表の高橋博之が主宰。全国47都道府県を巡回しながら、生産者を主体とした座談会を行う)に参加されていましたよね。いかがでしたか。

私は滋賀と京都の2回、参加したのですが、高橋さんが熱かった。おもしろかったです。そして、坂ノ途中(主に新規就農者と提携して農産物の通販を中心とした事業を行う京都の企業)の社長の小野さんの言葉が、私には響きました。「野菜は生きものだからブレる」と。

先日、あるイベントで、『京都食べる通信』でお世話になった農家さんの梨を使わせてもらったのですが、前に食べたときとは味がまったく違ったんです。同じ人がつくっているのになぜだろうと思ったのですが、小野さんの言葉を聞いて、そうか、生きているからだ、と。ちょうど台風の直後に収穫した梨だったんです。

調子が悪いときには、確かに味が落ちることはあるかもしれない。でも、だから買わない、価値がないと言われてしまったら、私はつらい。生産者さんが一生懸命育てているところを見ているから、それはいいときも悪いときもあるでしょう、と思う。でも普通は現場を知らないから、目の前の食べものを「おいしい」「まずい」で単純に判断するんですよね。これを変えられたらなあと思うんです。だから、「生きものだから、変わって当然だよ」という小野さんの言葉は、響きました。

—— 確かに、伝わる言葉です。

そう、納得できる言葉だと思うんです。私は、これだけ台風がくるともう「収穫できるだけでありがたい」と思うようになりました。実がならないんじゃないかとか、そういうことをずっと、ずっと考えさせられていますから。「昔の人たちは五穀豊穣を祈り……」って、原稿では散々書いてきましたけれど、今はそれがわかるようになりました。みんな、祈るしかなかったんだなあと。

この仕事は本当に大変ですけれど、これをやる前とやったあとでは、考え方、食に対する意識が変わりました。だから、自分の人生の中でやってよかった。そう思っています。続けることで見えてくるものがありますから。

(取材・文 保田さえ子)

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■プロフィール

鈴木晴奈(すずき・はるな)●福井県福井市出身。京都精華大学芸術学部卒。在学中はアートの力で田舎を元気にする「河和田アートキャンプ」の活動を通じて故郷の福井に関わる。卒業後、編集プロダクション勤務、ファブリックメーカー勤務を経て、2016年7月に『京都食べる通信』発行元であるUDS株式会社に入社。2017年1月に編集長就任。