『さいき・あまべ食べる通信』編集長の平川 摂(ひらかわ・おさむ)さんは、大分県佐伯市で海産物の加工卸の会社を経営している。佐伯は昔から水産加工業がさかんな町で、江戸時代には「佐伯の殿様、浦でもつ」といわれた歴史がある。生産者から消費者の食卓に食べものが届くまでには、多くの人の手が介在しているが、食品加工の現場にかかわる人たちの想いや現状を知る機会はほとんどない。平川さんは一・五次産業や二次産業という視点から「食」を支える現場を可視化し、「つくる人」と「食べる人」とのつながりのあり方に一石を投じようとしている。
――『さいき・あまべ食べる通信』は2017年4月に創刊。平川さんはなぜ、「食べる通信」を立ち上げようと思ったのですか?
僕はわかめやひじきなどの海藻の加工卸の会社を経営しています。『さいき・あまべ食べる通信』を創刊する時、僕自身も水産加工の現場にいるので、一次産業にとどまらず、一・五次~二次産業にかかわる人たちの想いを伝えたいと思いました。
消費者に食べものが届くまでには、食材を洗う人やカットする人など、さまざまな中間加工にかかわる人たちがいます。加工する人たちにも熱い想いがあるのですが、なかなかそのことを知る機会がない。消費者は意識すらしていない。「食」の裏側を支えているのは、川上にある一次産業だけじゃないんです。『さいき・あまべ食べる通信』では、漁師さんや農家さんだけでなく、加工までを含めたつくる人たちすべてに光をあてたいと思いました。
――佐伯は「食のまち」といわれますが、平川さんが外からUターンして気づいたことは?
6年前に佐伯にUターンしてきて、あたりまえのすごさや怖さというものを改めて感じています。佐伯では新鮮な魚があふれていて、スーパーにある魚だってうまい。それが普通です。でも、外から見たら全然、あたりまえじゃないなと。魚をとったり、加工したり、様々な人がいるおかげで佐伯の魚を食べられるのに、地元にいても生産者の顔が見えない。日本屈指の水産加工技術がある町なのに、ふるさとの食を支える現場を知らないまま、魚を食べているわけです。
佐伯市は平成21年に「食のまちづくり条例」を定めて「食のまち」を掲げています。でも、この現実とのギャップに違和感がありました。「食のまち」といいながら、まだ何かが足りない。もっと自分たちのふるさとの食の原点を市民レベルで認知しないと、「食のまち」と言ったらあかんのじゃないかと。
実際に佐伯市の産業構造や人口の変化などを調べると、漁業にかかわる人たちがどんどん減っています。大分の豊後水道には約500種の魚がいるといわれますが、海水温の上昇や黒潮の蛇行の影響などで魚が昔のようにとれなくて、漁期もずれてきています。せっかく漁師さんが苦労して魚をとっても、漁食離れが進み、魚が売れ残ってしまう。高齢化も進み漁師を辞める人、継がない人があとをたたないのが現状です。浦に人影がなくなって、佐伯の街中ですら空き地や駐車場だけが増えていく。『さいき・あまべ食べる通信』を創刊した背景には、このままではふるさとがなくなるかもしれないという危機感もありました。
――平川さんが「食べる通信」を知ったいきさつは?
東日本大震災のあとに、NPO法人「カタリバ」にいる友人たちが東北で復興支援活動をしていました。僕もボランティアに行きましたが、SNS上でたまたま『東北食べる通信』が創刊することを知りました。「離れていても、できることをしたい」とクラウドファンディングも応援しました。「食べる通信」のビジネスモデルは僕にすごく刺さって、いつか自分も大分でやってみたいと思いました。
僕の背中を押した一番のきっかけは、2016年4月の熊本地震です。震災直後、熊本の崇城大学で開催された『くまもと食べる通信』の緊急支援イベントに行きました。『くまもと食べる通信』編集部のメンバーは、自らも被災しているなかで復旧支援に追われて、次号を発行したくてもできない状況。それを目の当たりにして、自分がやりたいと思った時にすぐに行動しなければ、何もできなくなると思いました。翌日から、創刊に向けて一気に動きました。
――創刊するまでどんなことが大変でしたか?
クリエイティブスタッフを探すのに苦労しました。僕自身も制作ディレクターの経験はありますが、地方にデザイナーさんがいなくて、あちこち探しました。そもそもどこにいるのかがわからず、創刊3ヵ月前にようやく決まったんです。結果的にリクルート時代にお世話になっていたライターとデザイナーが快諾してくれました。副編集長の染矢弘子さんは同級生。彼女は編集経験があって、僕がUターンする前から佐伯の街づくりに取り組んできた人です。カメラマンも宮崎でのイベントで出会ったWEBディレクターや、友人のイベント写真を見て、写真に惚れて口説いた車屋さんだったりします。皆、僕がつくろうとしている「食べる通信」の理念に共感してくれました。最高のチームができあがりました。実は創刊号の「シラス」特集の生産者も同級生です。思いに距離は関係ありませんでした。
――創刊して佐伯の人たちの反応はどうですか?
まだまだ認知が低いメディアなのですが、『さいき・あまべ食べる通信』のことを知ると、みんな驚きますね。こんなものがあったのかと。地元の人も意外と知らないことが書かれていると言われます。小学校の食育の授業でも活用されました。
――現在の読者数は?
300人弱です。3分の1が東京、3分の1は佐伯を含む大分県内、あとはその他のエリアです。首都圏や関西など大都市圏が多いですね。「平川に出会っていなければ、佐伯という街を知ることも、繋がることもなかった」とよく言われます。本当にありがたいです。地元の感度の高い30代たちも読者になってくれています。これもうれしいですね。佐伯に訪れた読者も結構います。
――創刊後に苦労していることは?
特集で取材したい魚と、実際の魚の旬にタイムラグがあることです。鮮魚などの生ものを扱うので、衛生上の管理にもかなり気を遣います。しかし加工の仕事をしていますし、HACCP(工程管理システム)も導入しているので的確に指示もできます。海藻の加工工程とは異なるため、学ぶことも多いですね。
――『さいき・あまべ食べる通信』は、とる人とつくる人、それぞれの視点からストーリーが紡がれていますが、平川さんが取材でこだわっていることは?
僕は時間をかけて何度も取材するので、ひとつの特集で生産者さんの訪問回数は10回を超えることもあります。生産者さんから「まだ取材するの?」と聞かれますね。誌面のクオリティにも徹底的にこだわって制作しています。うちの場合、佐伯の浦(海岸部)に取材エリアを絞っているので、車で1時間もあればどこにでも行けます。年末の挨拶周りに行った際、「おかえり」と言ってくれた方もいました。僕にとってはもう取材者する側、される側の関係ではないんですね。勝手に家族みたいだと思っています。
僕は相手のことを深く知りたいし、懐に飛び込みたい。営業の仕事と一緒ですね。生産者さんからどんな言葉を引き出せるか? 僕は前職のリクルートで営業や制作などを経験しましたが、大切なのは「ヒト」にフォーカスすること。取材で何度も顔を会わせるうちに、生産者さんが本当の胸の内を吐露してくれる瞬間があります。
――平川さんが水産加工の仕事にかかわるようになったいきさつは?
もともと実家が海産物の加工会社をしていました。父も70代半ばだし、佐伯の街がどうなるのかという想いもありました。Uターンして家業をすぐに継いだわけではありませんが、少しずつ仕事を覚えました。
――前職のリクルートから別の世界に飛び込んで戸惑いもあったのでは?
マーケットが違うので専門用語や業界の動向を把握したり、今も学ぶことは多いですね。前職で営業やいろいろな職種を経験したことが結果的にマーケティングや販売戦略などで活きています。扱うモノは変われど、営業の本質は変わりません。
――全国の「食べる通信」編集長のなかでも、平川さんは水産加工の現場を熟知されている編集長ですね。
海産物の加工会社を経営しながら「食べる通信」を制作している編集長は、僕だけです。漁師さんたちと原料の仕入れなどのやりとりもしていますが、僕たちの業界では生産者さんのほうがむしろ強いです。うちは小さな会社なので、原料が買えなければ終わりですから。加工に付加価値をつけていかないと選ばれないのです。
海産物は「天産物」でもあるので価格が乱高下します。値段が高い時は漁師さんも張り切って、普通ならばとらないような海藻まで刈り取ることもあります。すると、加工に手間がかかる。もともとの仕入れ値が高すぎると加工業者は売るたびに利益を圧迫します。なるべく高く買ってもらいたいという一次生産者の方の気持ちはわかる。しかし仕入れが高すぎると売れなくて、商品が余ると暴落してしまう。全体のバランスを見て適正な価格にすることが大事だと思っています。
―― 一・五次産業や二次産業の分野に切りこめるのは、平川さんならではの視点だと思います。
僕のなかには、単に一次生産者と消費者がつながるだけでいいのか?という疑問があります。本当にそれでいいの?と。一次産業から二次産業の中間にもつくる人たちがいます。でも、中間加工のプロセスや存在意義が正しく理解されていない現実があります。僕は『さいき・あまべ食べる通信』でその部分をきちんと伝えていきたいです。
「食」の仕事にかかわるようになって、僕は生産者さんや食材との距離が縮まりさえすればいいとは限らないと感じています。例えば道の駅にある産直野菜は新鮮だけど、安全なのか?と考えた時、実はクローズドな部分ですよね。農薬を使うことが決して悪いのではなく、大事なのは農薬の使い方をきちんと知っているかということ。無農薬でも土づくりを間違えると意味がないように、見えないところで消費者にも誤解が生じているようなことがたくさんあります。食品の安心や安全性を考えた場合、目利きの存在は必要です。
――加工業の現場から食べものが消費者に届くまでのプロセスに、一石を投じたいという想いがあるのですね。
そういうアンチテーゼもあります。ひとつの例として、ある一次生産者の方が自分たちでつくったものを消費者に直接売り始めたことがありました。そのこと自体はいいことなのですが、そのWebサイトに原料を買い叩かれたり、業者を間に入れないから安く提供できるみたいなことが書かれていたんです。すごくショックでした。中抜きされるということは、加工業など中間でかかわる人たちの価値がすべて排除されてしまうことにもなるからです。僕は生産者さんがつくったものをきちんと加工して、販路を作って売ることが加工業者の使命であり、そこには信頼関係があると思っています。だから、疑問を感じました。
――加工業者の立場から見ると、そういうことが起きているわけですね。
『さいき・あまべ食べる通信』を通じて、消費者に選択肢を与えるきっかけを作りたいと考えています。どんな過程を経て食べものがつくられ、どうやって値段がついているのか。食の背景で起きている事実を知ったうえで、最終的に考えて選ぶのは消費者のあなたですよと。そういうことをどんどん進めていきたいです。
――加工流通も含めた「食」のトレーサビリティをもっと可視化したいということでしょうか?
世の中ではそういうものが求められ、グローバルスタンダードになってきています。食の世界は特にそうですね。日本独特の慣習が通用する時代ではなくなってきています。スーパーで白いチリメンジャコが売られているのも、実はあたり前じゃない。チリメンのなかに小さなエビが1匹混入しているだけで、異物といわれてクレームが来る時代です。シラスを加工して出荷するまでに「チリメンモンスター」といわれる小さなエビやイカなどが混入していないか、細かく手作業でチェックする人たちがいるからチリメンは白いのです。
――これまで平川さんが特集されてきた「黄金イワシ」や「トラフグ」では、加工にかかわる人たちも含めて、そのプロセスを詳しく取材して書いていらっしゃいますね。
食材の川上から川下までを追いかけて、つくる人たちがどんなこだわりや情熱を注いでつくっているのか。その過程を書かないと本質が見えないと思います。今まで知られていなかった加工品のストーリーを伝えることで、干物に対する見方だって変わる。それが大事だと思うんですよね。
――平川さんだからこそ、伝えられる部分でしょうね。
そのままでも食べられる食材をわざわざ加工するのはなぜか? その背景には地域の食文化や歴史があります。佐伯は江戸時代、「あまべ」と呼ばれる海沿いの地域でイワシ漁がさかんでした。イワシを加工して作る干鰯(ほしか)や油は佐伯藩の大きな収入源となり、「佐伯の殿様、浦でもつ」といわれた歴史があります。昔は魚などの生ものも近隣の地域だけで消費されていましたが、物流や加工技術の発達で遠方に運んで売買できるようになりました。その土地のなりわいや食文化に「ヒト」という要素が加わるからこそ、その掛け算は価値のあるものになるのです。
――これから創刊を考えている人に伝えたいことは?
ロマン(思いの強さ)とそろばん(経営)を両方持つことだと思います。僕の場合、東北にカタリバの活動を見に行って、高橋博之という不器用そうだけどめちゃくちゃ熱い男の存在を知り、そこからすべてが始まりました。熱量があれば最初はなんとかなります。やりたいと思うなら、まずは手を挙げてみることです。全国に仲間がいますから。特に九州を盛り上げる地域が出てきてくれたらうれしいですね。九州の食べる通信の仲間たちとは有志で勉強会をしたりスタディーツアーをしたりと、お互いを高めあう機会をつくっています。
それからスタートダッシュが大事ですね。創刊号でどれだけ本気で読者を集められるか。「食べる通信」は強烈な想いやメッセージ性があるけど、それは読んでくれる人がいて初めて成り立つことです。だから、まずはリーチする人を増やすこと。何のために「食べる通信」を作るのか? 読んでもらえる人をたくさんつくらないと、僕は取材した方に対して失礼だと思っています。「食べる通信」は制作して届けて終わりではなく、読んで終わりでもないメディアなんです。ボランティア的な活動なら無料で配ってしまえばいいわけですから。
――持続可能な仕組みをつくるためにどんなことができるのでしょうか?
「食べる通信リーグ会議」で創刊前のプレゼンテーションをした時、『東松島食べる通信』の太田将司編集長が声をかけてくれました。「小さな町ならではの、連続でアジの開き特集が10回あってもいいんだよ」と。その言葉を聞いて僕は気持ちがラクになりました。同じアジの干物でも、つくる人が違えばそこに込められた想いや物語は違うわけですから。「そうか、それでいいのか」と腑に落ちました。実際にアジの開きを数社分買って食べましたが、全然味が違うんです。
ただ、どんなに素晴らしい事業でも続かなければ意味がない。僕は数字をシビアに見ていますし、自治体や企業との連携も積極的に仕掛けます。『さいき・あまべ食べる通信』の取材をきっかけに、食材の海外向けプロモーションの依頼を頂くなど、新たなビジネスチャンスも生まれています。この「食べる通信」だけで終わらせたくないという気持ちがあります。
――平川さんにとって「食べる通信」の魅力とは?
僕にとって「食べる通信」の醍醐味は、消費者の視界を変えるきっかけになれることです。関係人口の構築や食育など、さまざまな角度から新たな価値を生み出せるところが面白い。このメディアの強さはそこにあると思います。
よく地元の自治体の人たちにこんな話をします。「佐伯の魚がうまいとみんな言うけれど、日本の海沿いの地域でとれる魚は、実はどこもうまい。なぜ、佐伯の魚がうまいのか?具体的な言葉で語れなければ、佐伯に人は来ませんよ」と。同じ魚でも地域によって「ヒト」と「コト」は違いますから、そこをいかに深めるか。具体的な言葉で語る決め手となるツールが「食べる通信」だと思います。「おいしい」はいろいろな感覚の集合体だと思っていますので、いろいろな「感覚」を駆使していきたいです。
――『さいき・あまべ食べる通信』の今後の展望は?
大分県内を行脚して、語り食べられる「場」をつくる予定です。理想は屋台。生産者さんも連れていって、「食べる通信」や大分の食の未来を語りあえる仲間をつくっていきたいです。
小学生の頃は、放課後になると釣り竿を持って海辺に走り、陽が暮れるまで釣りをしていました。豊かな海や浦は僕たちの街の価値です。僕はそこから自分のドメインをずらしたくない。佐伯の水産加工業の現状やそこに情熱を注ぐ人たちの想いは絶対に光をあてたい部分です。「ヒト」と「コト」を大事にしながら、「佐伯らしさ」をいかに可視化できるか。これからも「らしさ」にとことんこだわっていきたいです。
(取材・文:高崎美智子)
■プロフィール
平川 摂(ひらかわ・おさむ)
株式会社ベース 代表取締役。1969年生まれ。大学卒業後、株式会社リクルート(現:リクルートホールディングス)にて営業・制作・編集・商品企画・営業マネジャーなどを経験。2012年に佐伯市へUターン。水産加工卸会社を経営しながら、2017年4月に『さいき・あまべ食べる通信』を創刊。「浦からはじまる、佐伯の未来」をコンセプトとして、佐伯沿岸部の漁師や水産加工者の熱い想いや職人技に光をあて、現代版「佐伯の殿様、浦でもつ」の可視化を目指している。食べる通信事業は、大分県経営革新計画承認事業に採択。