地元石川県で20年余り、映像制作を生業としてきた羽喰亜紀子さん(43)。中でも食分野を得意としてきたなかで培った知識と取材ノウハウ、そして芽生えた課題意識から、紙媒体の『加賀能登食べる通信』を創刊した。誌面に込められた意思と「恩返し」の意味とは。
——映像制作会社を経営する羽喰さんが、「食べる通信」を知って創刊されるまでの経緯を教えてください。
うちの会社はもともと、テレビの制作会社として、以前勤めていた会社のメンバー3人が独立して始めたんですが、私自身、将来までテレビの制作だけでやっていくことに疑問を感じ始めていました。それと、独立後に出会った人たちとの交流のなかで、うちはうちなりの地域貢献というものを考えないといけないな、とも考えるようになった。
そんな時期に、インターネットでたまたま『東北食べる通信』に出会って購読を始めたんです。と同時に「うちでもできるんじゃないか」という興味がわいて、2014年夏に高橋博之さん(『東北食べる通信』編集長・日本食べる通信リーグ代表)にお会いしました。で、あの熱い高橋節を浴びて(笑)。そのときはまだ、「食べる通信」というものの全貌はわかっていないような状況でしたが、「一緒にやりましょう」と言われて「がんばります」と言ってしまった。
——その場で!
飲まれました(笑)。で、私は有限不実行が嫌いなので、これはやらなきゃいけないなと。ただ、割と楽観的ではありました。誌面と映像という違いはあれど、つくるプロセスは一緒だし、これまでの仕事で生産者さんにはたくさん取材をした経験がありましたから。その冬に、日本食べる通信リーグの運営会議でプレゼンテーションをさせていただいて、翌5月に創刊しました。ちょうど直前の3月には北陸新幹線開業があったので、創刊の好機だなという思いもあったんです。私たちも含めて、金沢の人たちの気持ちがガラリと変わった時期でしたから。新しいプロジェクトを始めるにはいいタイミングだったのだろうと思います。
——映像制作チームである羽喰さんたちが、紙媒体を創刊するにあたって、どのようにチーム編成をしたのですか。
編集部は、会社の3人です。本当は新たに一人採用して、私や鴻野(『加賀能登食べる通信』副編集長)の映像制作の仕事をそちらにシフトしながら、4人体制でやろうとしていたんですが、ちょっとそこはうまくいきませんでした。カメラマンやデザイナーについては、うちは企業のパッケージビデオの制作などもやっていて、同時にパンフレット制作を請け負った経験などもあったので、すぐに顔の思い浮かぶ信頼のおける人たちでチームづくりができました。
——商品発送や読者コミュニティの運営も編集部の3人で分担しているのですか。
はい。ただコミュニティ運営は、正直なところやりきれていないのが現状です。発送は、創刊してみて、これはやっぱり大変だなあとよくわかりました。創刊号で特集した食材は鯛でしたが、漁師さんご自身には発送をお願いできなかったので、2週間、毎日毎日2時間かけて漁港まで通って。そうは言っても、その漁師のお母さんが見映えのいい箱詰めの仕方を教えてくださったり、氷を使わせてくださったり、何かと手伝っていただいたんですけれどね。
——先ほど「地域貢献」ともおっしゃっていましたが、羽喰さんが『加賀能登食べる通信』を創刊したかったそもそもの理由はどこにあったのですか。
私は20代のぺーぺーのディレクターの頃から、それが石川県だからなのか、星の巡り合わせなのかはわかりませんが、食関係の仕事が多かったんです。県内でつくだ煮だとか、かぶら寿司だとかの加工の現場を取材したり、ラーメン屋さんの仕事で生産地取材をしたり、漁業の定置網をつくる会社の仕事で全国の漁場を回ったり。県内の情報番組を担当するようになって、生産者さんのところに旬のものの取材に行くようになったり。
そういうとき、農家さんも漁師さんもとてもよくしてくださるんですよ。「よく撮ってくれてありがとう」と言って、帰りにれんこんとか、すいかとかを持たせてくださったりもして。この人たちにお返しをしなくてはいけないな、という思いが、どこかにずーっとあったんですね。
ここ7、8年くらいは料理番組を担当するようになって、県内のシェフたちと親しくなりました。彼らはみんな、生産者さんを大切にし、食材を活かすということをしている。かつ、ボランティアで食の教室を開いたり、県内の料理人が集まって勉強会をしたりもしている。みんな40代で私と同世代ということもあって、「私もこういうことをしないといけない歳なんだろうなあ」という思いが芽生えていました。そんなときに『東北食べる通信』を知って、これだな、と何となく直感したんです。私は結構、直感を信じて動くタイプなので。
——映像から紙への転換は、大きな決断ではありませんでしたか。
映像の仕事に課題意識を持っていたのが大きかったですね。公共のメディアですから、公正中立な立場でいなければならない。常に客観性が求められ、「自分はこう感じている」という意見や主張を放送ではなかなか表現しきれなかったんです。あと、私がやっている番組に関していえば、決められたわずかな時間枠の中でどう構成するかが、だいたい決まっているんですね。テーマを決め、そこに集約するような撮影の仕方、取材の仕方、編集の仕方にどうしてもなっていました。
もちろん、そのことが一概に悪いとはいえないんです。ひとつのテーマを突き詰めるには、あれもこれも盛り込んだらぼやけてしまいますから、情報を取捨選択することになる。そうすると、その背景にある景色がどんなに美しくても、そこに住むおじいさんがどんなに悩んでいても、それがどんなにおいしくても、当てはまらない情報は全部切り捨てる思考になっていく。それがすごくもったいないし、伝えたいことがあるのにそれができない……という状態にちょっと飽きてきてもいて。それなら、縛りのないメディアを自分たちがつくった方がいいんじゃないか、という思いがあった。理由としてはそこが大きいですね。
——自分たちの思いを表現できる自社メディアをつくりたいと。
ただそこは悩みでもあって。この20年、「公正に忠実に」の世界で自分の意見を表現すること無しに生きてきたので、今は、それを誌面に出すことにすごく難しさを感じています。いまだに怖くて表現しきれないところがある。他の編集長たちはそこを軽々と乗り越えていて、みなさん色を強く出しているんですよね。ただ、その悩みがある一方で、うちは逆に「編集長は、色が強くなくていいのではないか」という思いもあるんです。「読者の食べる通信」であってほしい思いがあるので。そこは、自分のなかでまだ揺れているところです。
——読者が主役、となると、読者コミュニティをもっと活性化したいお考えもありますか。
そう、もっと力を入れないといけないのですが、幸か不幸か、うちは映像の仕事がもう鬼のように毎月パンパンに入ってくる。コミュニティ運営をするマンパワーが足りていません。ただ、この4月に東京で初めて読者イベントを開くんです。その運営は、奥能登地方で「食べる通信」を一緒にやりたいと言ってくれていた在京の方たちに、食材集めから何からお手伝いいただいています。こういう連携がうまく成り立ち始めると、これからいろんなことができるようになるだろうなと、可能性を感じています。
——Facebookの『加賀能登食べる通信』読者限定ページは、どんな雰囲気ですか。
コアな読者の方が何人かいらっしゃって、特集した食材の料理写真を頻繁に投稿してくださったりしています。ただ、生産者の方がFacebookを使っていらっしゃらない場合も割とあって、その場合は読者と生産者のコミュニケーションには至っていません。そこは鴻野が読者と積極的にコミュニケーションをとったり、生産者さんが喜んでいらっしゃる様子を撮影して、替わりにページで公開したりしています。
ただ、読者のなかにも意外とFacebookを使っていない方が多いので、最近では、誌面を2ページ、交流につながるような企画に割くようになりました。過去に紹介した生産者さんのその後を伝えるページが1ページ、読者からいただいた感想の紹介が1ページあります。
——創刊からここまでで、もっとも苦労したのはどの点でしたか。
時間がないことですねえ。一度、発行が少し遅れ気味になってしまい、ここへ来てやっと持ち直していますが、でもまあ、徹夜しています(笑)。ただ、つくること自体に関しては、それが生業でもありますからまったく苦ではなくて。それよりは、カスタマーサービスの方ですね。
——制作しながら、問い合わせから何からを直接受け止めなくてはならないのは大変でしょうね。
そうですね。今、お客さま対応に人を割けていないことは課題です。細やかに対応すべき問題が起きたときに、みんなロケに行っているとか……。制作物に関しては経験がありますから、えいや!と乗り切れるんですけれど、それ以外の部分が、うちが一番できていないところです。販売促進もそう。まだまだやれていません。
——一方で、『加賀能登食べる通信』を創刊し、やりがいを感じているのはどの部分ですか。
それが「食べる通信」だからなのかどうかはわかりませんが、映像の仕事とはタイプの違う生産者さんに出会えるようになりました。テレビですと、先方も身構えるところがあるようで、例えば農協に取材の依頼をすると、生産者さんのなかでも割と上のクラスの部会長さんだったり、そこの第一人者だったりを紹介していただくことが多かったんです。でも「食べる通信」の取材で出会う生産者さんは、どちらかというと若く、しかも自分からアクションを起こしていらっしゃるような方が非常に多くて。
一次産業の世界では高齢化が叫ばれていて、私も映像の仕事だけしているうちは、石川はまさにそれを地でいっている地域だという感触でいました。けれども「食べる通信」を始めてみたら、いやいや、そんなことはなく。むしろ未来を感じさせてくれる人たちに出会えるようになりました。農業というものを単一的にとらえていたのが、見えなかった層が見えるようになったことで、「実はすごく可能性がある分野なんじゃないか」と知ることができたというか……。テレビで紹介する生産者さんと、「食べる通信」で紹介する生産者さんには違いがありますが、うちの会社は、その両方を紹介できる環境にある。一次産業を広く、多面的に世の中に見せられるようになったことはよかったな、と感じています。
あとうれしいのは、生産者さんが喜んでくれこと。できあがった誌面をお届けして、「いいねえ!」と言っていただけるのは、とても幸せ。ちょっと恩返しできている気持ちにもなれます。
——今後も、事業としては映像との両輪でやっていくお考えですか。
うちの会社は、最終的には「食メディア」になりたいと思っています。映像においても食に特化していきたい。よく料理人の皆さんと話すのは、金沢を日本のサン・セバスチャンにしたいということ。私自身、それを最終目標においています。スペインのサン・サバスチャンは、海も山も近く、街が食で成立している。金沢もそうなり得ると思うんです。それには加賀と能登、海と山が必要。そして生産者を大切にしていかないと、この地域の食文化を守っていくことはできない。
——羽喰さんは今、日本食べる通信リーグに属する編集長として、新たな創刊希望者を審査する立場にもあります。創刊希望の方たちにアドバイスしたいことはありますか。
儲かると思っちゃだめ、最初から利益を追求してはだめだということ。ホットなことと、売り上げが立っていることは別だという考え方をすべきです。「食べる通信」は地域貢献の意義、社会性の方が高く、すぐに利益の上がる媒体ではありませんから。うちはテレビの仕事が順調なので、言葉は悪いですが「食べる通信」は部活動だと考えて、多少の赤字になってもいいという覚悟でやっています。つまりは、お金で買えない価値があるということです。私は、これまで20年間の取材でお世話になった生産者さんたちに恩返ししたい、という思いでこの事業を始めたので、続けなければ意味がない。ですからある程度の利益は必要ですが、そこが最優先ではないなと。
ただ、創刊しようかしないかで悩んでいるのであれば、私はやってしまったほうがいいという考えです。やれば、周りのいろんな人が助けてくれますから。巻き込もうと思っていなくても、向こうから巻き込まれたいという人がきっと出てくる。「食べる通信」はそういう事業ですから。そして、やってみたら、何か違う世界が広がると思いますよ。一次産業の見え方が確実に違ってきます。
——では、創刊したい意志のある人なら、みんな審査を通せばよいと思いますか。
いえ、そうは思いません。基本的にはやりたい方は大歓迎なんですが、例えば攻撃的、挑戦的な姿勢で審査に臨んでこられるのは、ちょっと違うかなあと思っています。この取り組みをおこなううえで、攻撃的である必要はまったく感じませんし、そういう人は、創刊してからも攻撃的なのだろうな、と思いますし。創刊した先にある活動を考えたとき、けんかを売るような姿勢ではやっていけませんから、絶対に。
——今後こんな人、こんなチームにリーグに仲間入りしてほしいという希望はありますか。
業種でいうと、どこかで農家さんが創刊すればいいのにな、と考えていたら、先日の審査会を通過した佐賀県の『SAGA食べる通信』がまさに農家さんだったんです。地域でいうと、北陸3県(富山、石川、福井)で創刊しているのは、うちだけなんですよね。このエリアのすきすき感はさみしい! 富山なんて、いい食材がいっぱいあるんですから、ぜひ創刊したらいいと思う。うちがやりたいくらいですから(笑)。
(文・保田さえ子、写真・山田康太)
■プロフィール
羽喰亜紀子(はくい・あきこ)●1972年、石川県生まれ。石川県在住。県内の映像制作会社にディレクターとして勤務ののち、2011年に株式会社A3を設立。前職時代から食分野の企画制作を得意としている。2015年5月、同社を版元として『加賀能登食べる通信』を創刊。
※『加賀能登食べる通信』は、2018年3月号をもって休刊しています。
このインタビューは2016年4月8日に掲載したものです。