『山形食べる通信』の編集長を務める松本典子さんは、結婚を機に鶴岡市に移住。育児にも奮闘するワーキングマザーだ。山形県には在来作物が160種類以上あるという。在来作物は「生きた文化財」といわれ、地域で世代を越えて種や農法が受け継がれてきた。消えゆく在来作物を食べ続けることで未来につなぎたい。『山形食べる通信』創刊への想いや、走り出して見えてきたことを伺った。
――松本さんは鶴岡に移住する前はどんなことをしていましたか? 山形にはもともとご縁があったのでしょうか。
私は母の実家がある山形県鶴岡市で生まれ、埼玉県所沢市で育ちました。小さい頃は夏休みになると、鶴岡のおばあちゃんの家に行くのが楽しみでした。青々とした田んぼがあって、カエルやセミの鳴き声がして、山盛りのだだちゃ豆がすごくおいしくて。それが私の鶴岡の思い出です。中学や高校になると部活が忙しくて、おばあちゃんの家に行けなくなったけれど、「ふるさと」という言葉を聞くと私のなかでは山形が一番近い存在でした。
2013年1月に鶴岡に移住するまでは、東京のD&DEPARTMENTという会社でライターとして働いていました。47都道府県を東京から俯瞰して、それぞれの地方の個性を引き出す仕事で、渋谷ヒカリエにある「d47ミュージアム」の立ち上げなどにもかかわりました。仕事をしながら私は東京から俯瞰するだけではなく、どこかひとつの地域をもっと深く堀り下げてみたくなり、一番興味のある土地が山形でした。
そんな時にたまたま、山形を舞台にしたドキュメンタリー映画が公開されるので、宣伝のお手伝いを探していると知人に声をかけられました。さっそく試写会を観に行ったのが「よみがえりのレシピ」です。山形の在来作物を守り続ける人たちの物語で、映画のなかの在来作物はきらきらしていて、母のふるさとの鶴岡に行ってみたいと思いました。
監督の渡辺智史さんは鶴岡出身で、映画のお手伝いをしているうちに監督と私の考えがすごく近くて、目指している未来に共感しました。そして、気づいたらいきなりプロポーズされていたんです。私は「考えさせてほしい」と答えました。考えるために一度、山形に行きたいと。それが2012年の秋でした。
――ドラマチックな展開ですね。山形を訪ねてみてどうでしたか?
山形をまわりながら、在来作物の生産者や、ものづくりをしている人たちに出会って、鶴岡という土地に惹かれました。私は山形を知っているようで、何も知らなかった。たとえば山形には菊の花を食べる独特の食文化がありますが、花びらだけをガクからむしって食べることを初めて知りました。
山形に来たら、農業がものづくりなんですね。私はもともとものづくりや伝統工芸などのライターをしていたので、職人さんの技の紹介と全く同じ文脈で野菜が作られているのがとても面白いと思いました。その後、結婚を決意して鶴岡に移住。鶴岡での暮らしは今までと全く違う未知の世界でした。監督と結婚したのか、鶴岡と結婚したのかわからないけど(笑)、監督が他県の人だったら、こんなスピード結婚はしなかったと思います。
――松本さんはどうやって「食べる通信」を知りましたか?
『東北食べる通信』はフェイスブックの広告欄に時々表示されていたので、なんとなく気になっていました。実際にこの仕組みに興味を持ったのは、2014年1月。友達が『東北食べる通信』で特集されたワカメについて、フェイスブックにすごく長い記事を投稿していたからです。届いた三陸のワカメをどうやって食べたとか、楽しそうな感想が書かれていて、私は食に全然関心のなさそうな人がこれだけ反応していることに驚きました。同じ頃、フェイスブックで友達のポン真鍋さんが「四国食べる通信を立ち上げます」と投稿したのを見て、食べる通信は東北以外でも始められるんだと思いました。
――『山形食べる通信』を創刊した理由は?
鶴岡に来てから、私は山形の在来作物のことが気になっていました。在来作物の種を受け継ぎ、大切に守り続けてきた生産者の多くは70歳以上です。来年はもう作らないかもしれないという声を聞くたびに、どうしたらいいんだろうと。「よみがえりのレシピ」を応援する人はたくさんいるけど、在来作物が消えてゆく危機感に対して具体的に何ができるのか。もどかしさを感じながら模索していたところで、食べる通信に出会ったのです。
在来作物の一番の弱点は、一般の流通ルートにのせても食べ方がわからなくて、なかなか買ってもらえないことでした。でも、『東北食べる通信』のワカメのように在来作物を嬉々として食べてくれる人が現れたら、生産者が作り続けていけると思いました。この近くには藤沢カブといって、今も焼畑農業で作られているおいしいカブがあるんですよ。在来作物は収穫量が少なく、収穫時期もその年によってばらつきがあります。そういう背景を説明して理解してくれる人だけに届けて、在来作物を毎年食べ続けてもらえたら、つないでいくことができるんじゃないか。それが『山形食べる通信』を創刊しようと思ったきっかけです。
――創刊しようと思ってからどんなアクションを起こしましたか?
食べる通信をやりたいと夫に伝えたら、「いいね、やろうよ」と賛成してくれました。当時、私は娘を出産したばかり。私はまだ子育ての大変さをよくわかっていなかったんですね。2014年5月、仙台のスターバックスで高橋博之さん(『東北食べる通信』編集長)と初めてお会いしました。その日は初めて娘を長時間預けて、別行動した日なのでよく覚えています。娘はまだ寝返りもしない時期でしたが、おばあちゃんを困らせたらどうしよう、泣いていたらどうしようと、私は内心ひやひやしながら仙台に向かいました。
実際に高橋さんにお会いしたら「やりましょう」と話が盛り上がり、偶然にも『東北食べる通信』8月号で、鶴岡のだだちゃ豆を特集すると聞いてびっくり。7月にはだだちゃ豆の取材や発送作業に同行させてもらって、食べる通信を作る流れを知ることができました。
ただ、そのあとが大変でした。2015年1月の創刊を考えていた矢先に、娘がアトピーになってしまったのです。原因は食物アレルギー。あちこちかゆがって夜中も30分ごとに娘が起きるので、創刊に向けたプレゼンの準備どころか、私ももう何も手につかなくて……。日々、葛藤でしたね。母乳を通じて子供に食べ物のすべてが出てくることを痛感し、食べ物についてあらためて考える機会になりました。20~30年後、どんな食べ物が娘の手に届くのだろう。やっぱり私は『山形食べる通信』をやらなきゃと思いました。
――小さなお子さんを育てながらの創刊準備は、時間や体力を捻出するだけでも大変でしたね。プレゼン通過後、創刊に向けて具体的に大変だったことは?
2014年11月のリーグ運営会議で無事にプレゼンを通過して、2015年3月に『山形食べる通信』を創刊しました。創刊前に一番悩んだのは値決めです。うちは隔月発行で3980円。『東北食べる通信』が1980円で創刊したのに、同じ東北エリアで3980円払ってくれる人がいるかどうか、スタッフのあいだでかなり議論しました。確かに安いほうが購読してくれる人は増えると思います。でも、私は「安さ」以外で惹きつけることができるはずだと思いました。3980円の価値をちゃんと理解してくれる人が集まれば、最強のファンになる。『山形食べる通信』は、在来作物や伝統食を食べ続けてくれる人を800人作ることが目標です。
――『山形食べる通信』は2号目から表紙がイラストになって、ずいぶん雰囲気が変わりましたね。
創刊号でイラストレーターさんに描いてもらった小さな鮭のイラストがとても素敵だったので、もっと描いていただきたいなと。『山形食べる通信』は映画のパンフレットをイメージして制作しています。タブロイド判ではなく、B5サイズの冊子にしたのは、本棚にしまっておけるからです。毎年季節ごとに何度も読み返して、山形の在来作物を食べ続けてもらいたいと願っています。山形出身の読者から「こんな食材があることを知らなかった」と言われると嬉しいですね。
私はコピーライターをしていたので、商品の良さを主観的にも客観的にも語ることができます。だからこそ、編集長としての自分をどこまで紙面に出すべきか、作りながらいつも悩みます。2号目からは自分が出る比率を上げています。食べる通信の読者の立場で考えたら、生産者や食材の魅力だけでなく、太鼓判を押している編集長がどんな人なのかわかるほうが、たぶん嬉しいと思うんです。
――『山形食べる通信』は何人で運営していますか?
写真やデザイン、レシピなどの制作はプロの人に手伝ってもらっていますが、編集や発送作業、顧客対応などの運営はひとりでやっています。私は商品発送の経験がなかったので、食材を送る作業が予想以上に大変でした。今、一番欲しいのは私の右腕になってくれる人。いつもデスクにいて、顧客管理や事務作業などをサポートしてくださる方を探しています。
――「食べる通信」の創刊を考えている人に何かアドバイスはありますか?
これから「食べる通信」の創刊を考えている人に伝えたいこと、それはまず、食べる通信の仕組みに乗っかればなんでもうまくいくわけではないということです。もうひとつは、地元の人たちが「うちの地域のおすすめは絶対にこれだ」と思っていても、それが他の地域の人に響くとは限らないことです。
たとえば、山形の人は蕎麦といえば山形だと思っていますが、東京の人は蕎麦といえば長野を連想します。東京の人はいろいろなものを比べて俯瞰できるから見方がクールで、認識にずれが出ることもある。他の地域と同じ食材でも、その地域ならではの食べ方などで特徴を打ち出せたら強いですね。私自身も、山形特有の良さを見出すために、日本全体を俯瞰する眼を持ち続けたいと思っています。あとは『山形食べる通信』では在来作物について、山形大学の先生に学術的なお話を伺っています。全国各地に大学はあるので、そこにある知見や人脈を絡めると、それぞれ地域の特性が出てくるのではないでしょうか。
――山形ではだだちゃ豆を味噌汁にそのまま入れると聞きました。だだちゃ豆の種類の多さだけでなく、食べ方もおもしろいですね。
郷土料理は作り方だけでなく、食べ方にもその土地ならではの知恵が詰まっています。私は山形に来るまで、里芋の代表料理といえば煮っころがしだと思っていましたが、山形では里芋といえば芋煮です。実際に暮らしてみて、その理由がわかりました。山形は東京と気候が違っていて、10月になるともう夜が寒いんです。だから家に帰ったら、まず体をあたためたい。芋煮という汁物が理にかなっているんですね。また、山形には納豆汁という郷土料理があります。芋がらなどを入れた味噌汁にすりつぶした納豆を溶かした汁物で、寒い日に食べると体があたたまっておいしさは格別です。関東は冬が乾燥しているせいか食べる時に少し匂いが気になるけど、ここでは食欲をそそる香りになるんです。
――『山形食べる通信』を今後どんなコミュニティにしていきたいですか?
山形の食材の一番おいしい食べ方は、山形で食べること。私は『山形食べる通信』を山形に来るためのパスポートにしたいです。家族で参加できるような地元での楽しいイベントを増やしたい。できれば首都圏の読者にも来てもらって、この気候風土のなかで食べ物やお酒を味わってもらいたいです。それに、山形に友達ができたら、山形に対する見方が変わります。地元の人と外の人が交流することで、どちらも山形の良さを再発見してほしいですね。
――松本さんにとっての「食べる通信」とは?
私にとっての「食べる通信」はゴールじゃなくて、「待って買う」文化を作るための入り口です。今は「目の前にあるものをすぐに欲しい」という人が多いから、作る人たちが売れ残りの在庫を抱えて疲弊しています。待つ文化が広がっていけば作る人の負担が減って、世の中がちょっと変わるはず。その入り口として一番わかりやすいのが、食べものだと思います。おいしいものを作るから待っててねと。生産者と消費者が直接つながるCSA(コミュニティ・サポーテッド・アグリカルチャー)の仕組みもそのひとつです。半年後や1年後を楽しみながら待つ、そういう暮らしのあり方があってもいいと思うのです。
これから先の世界は、速さを求める方向と、情緒的なものを求める方向にどんどん二極化するのかもしれません。欲しいものをインターネットで注文したら20分で届くようなサービスも開始されています。でも私がこれからやりたいことはその真逆。『山形食べる通信』をスタートに、待つことが楽しい世界を創っていきたいと思っています。
(取材・文 高崎美智子)
■プロフィール
松本典子(まつもと・のりこ)●1983年、山形県鶴岡市生まれ、埼玉県育ち。ライター。山形県の伝統野菜の生産者を追ったドキュメンタリー映画「よみがえりのレシピ」の監督・渡辺智史と結婚し、鶴岡市へとIターン。2014年に第一子を出産。「山形の文化を未来の世代に残したい」と2015年、子育てをしながら『山形食べる通信』を立ち上げる。