いい意味で福島が意識されない世の中になればいい
−−『高校生が伝えるふくしま食べる通信』
事務局長・椎根里奈、初代編集長・菅野智香<後編>


2015年、全国唯一の高校生編集部を結成して始動した『高校生が伝えるふくしま食べる通信』。その誕生の源には、当時、高校2年生だった初代編集長・菅野智香さん(21)の「大好きな福島が誤解されて悔しい」との思いがあった。以来、5学年にわたる高校生に伴走し続けてきた事務局長・椎根里奈さん(39)と共に、転換期を迎えているという今日までの足跡を振り返り、未来図を描いてもらった。

◾️自分の目で見て初めて、これが本当に線量の高い場所なんだと

——生産者さんの思い、志を伝えたいと考えて創刊した菅野さんは、実際に生産現場で話を聞き、書いて伝える経験をしてみて、どんなことを感じていましたか。

菅野:創刊号では、生産現場に行ってお話を聞くこと自体がもちろん初めてで。あの号は半谷さん(あすびと福島代表)が同行してくださったんですけれど、何というか、高校生も半谷さんも楽しくなっちゃって(笑)。聞かなければいけないことを何も聞かないまま、ちょっと検索したら出てくるだろう程度のうっすらした情報しか持ち帰れなくて。結局、椎根さんが追加取材に行ってくださることになって、自分たちが聞いたものと、椎根さんが聞いてきてくださったものを合わせて原稿にしたのですが……あれは大失敗でした。

——それを振り返って、次はこうしなければという話し合いはしたのですか。

菅野:はい、もう反省会です。だから、2回目の号ではもう少しまともに取材ができたんじゃないかと思います。

——現場で、何か強く印象に残ったことはありましたか。

菅野:2015年夏号で、きゅうりを生産している方の畑におじゃましたとき、藁のようなものをたくさん積んだ場所があったのですが、そこは圃場のなかでも放射線量が高めだとおっしゃっていて。確かに土は線量が高いとか、こういう場所は危ないとか、知識としては持っていましたけれど、あのとき自分の目で見て初めて、ああこれが本当にそういう場所なんだ、と。それがあるから、農家さんたちにはどういう対策が必要で、どのように農業に向き合っている、ということを直接聞けたのは、すごくいい経験だったと思います。

椎根:彼女が取材していた2015年を思い返すと、そういう問題がまだ残っていたなあと思いますね。

菅野:最近お会いする生産者さんは、積極的に聞かない限りは、そういうお話をあまりしないですよね。

——菅野さんの現役当時の取材においては、その問題は避けずに通るところだったと。

菅野:そうですね。それぞれの農家さんの対策だったり、なぜ、風評やいろいろな問題が残っているなかで農業をやめずに続けているのかだったりを、いつもお聞きしていました。

◾️いい意味で福島が意識されない世の中になればいい

——先日の「こうふく通信をみんなで読む会」でも、放射能と風評被害問題に対する現役高校生たちのスタンスの違いが現れていましたね。

椎根:今の高校生たちは、そこを特には意識していないところがあって。取材でも、流れのなかでごく自然に話題に上がれば聞きますけれど、先日の最新号の取材でも話題になりませんでした。(菅野)智香ちゃんはずっと、「いい意味で福島が意識されない世の中になればいい」と言い続けてくれているのですが、今の状況は、もしかすると、その現れと見ることもできるのかなあと。生産者さん自身もさまざまな努力を重ねられて平時に近い状態に戻っているのかもしれませんし、福島県内の高校生たちもそうですし。

——菅野さんは、現役生とのそうした感覚の違いに触れて、どう感じていますか。

菅野:世の中が変わってきているので、編集部の子たちの感覚が変わってくるのも当たり前かなあと思っていて。それこそ、世の中の変化というのが「いい意味で福島が意識されない」だったりもしますから。例えば、都内の駅ナカなどで開かれている福島フェアで、福島の桃の販売コーナーなんかを見ると、すごく好評なんですよ。福島のものがおいしいということと、安心安全ということがどう絡んでいるのかまでははっきりわかりませんが、私は、都会の消費者の人たちが「おいしいから買う」という意識で行動、選択しているのを感じていて。

そういう変化があって、高校生の意識も変わってきているのであれば、それは悪いことではないと思います。なぜ「食べる通信」が始まったのかという立ち上げ当時の状況や、悔しいという私の思いは知っていてほしいですけれど、一人ひとりの目的はずっとそこにあり続けなくてもいいのかな、と。例えば「自分の成長の場にする」が目的でもいいですし、農業を知りたい、記事を書くことに興味があるというところでもいいですし。

椎根:ここを成長の舞台ととらえてほしいというのは、本当に同感。私たちも、「こうふく通信」は高校生一人ひとりに成長してもらうのに最適な手段だったと思っています。私、あんなに反対しましたけれどね(笑)。特に智香ちゃんたち初期のメンバーには、東京の企業に出向いて、自分たちの思いや現場の様子を言葉にして伝えるという経験を、ずいぶんしてもらいました。それによって考えがまとまっていくこともあったでしょうし、彼女たちの「福島観」も醸成されたと感じているんです。取材というインプットの場だけでなく、思いを原稿以外の形でアウトプットする場も合わせてつくっていくことも大事なんだということを、私たちの側も学んできました。

もちろん、風評被害が小さくなっていったとしても、さまざまな思いを抱えた人はずっといるわけで、そこは福島で高校時代を送っているからこそ得られる経験です。私たち大人の側、事務局側は、高校生たちの経験をより成長につなげられるような場をつくっていきたいと思います。

◾️もっと恋をしてほしい!

——現在、取材前にはどんな準備をしているのですか。先ほどは創刊号の失敗談もお聞きしましたが。

椎根:はじめに私が生産者さんのところに取材交渉を兼ねて下取材に行って、内容をシートにまとめ、皆で編集会議をします。そこで情報を出しすぎるのはよくないですが、高校生の限られた時間内で、ゼロから関係性を構築する難しさもありますので、前提として概ねの背景は押さえておいてね、と。かつ、時間が許せば自分でもネットなどで関連情報をインプットして、この話とこの話はどうひもづいているのか、など仮説を立ててみようとも言っています。私のなかでようやくノウハウがたまって、ここ1年ほどで始めたことなんですけれどね。

——椎根さんは、いわば高校生たちの赤ペン先生でもあるわけですが、どう伝えるか、どこまで任せるかなどは変化してきているのですか。

椎根:私は、最初の交渉から出荷に至るまで、高校生たちよりもずっと生産者さんと接しているんです。その分、恋をする感覚が強い(笑)。この人のことをもっとこう伝えたいとか、あんないいことを話してくれたのに、なぜ原稿に入っていないんだろうとか、学生が書いていないエピソードを盛り込みたくなっちゃうクセがあって。読み手側の視点に立ったとき、通り一遍なことが書かれていても興味を引かれないだろうと思うからです。ふとした瞬間の仕草や話、そこから垣間見えるものを大事にして、何かを感じとって伝えてほしいなあと。先日の「こうふく通信をみんなで読む会」でも議論になった、高校生らしさって何なのかということについて、あの後も学生たちと話しているのですが、本当にちょっとしたこと……例えば作業着からにじみ出る汗とか、自分たちの五感をフルに働かせて感じたリアルを大事にしよう!と。

——「みんなで読む会」には、取材先の農家さんもいらっしゃっていましたが、学生のみなさんがご本人を前にして語っていた、各々の目線、等身大の感想の言葉が魅力的でした。そういうふとした感覚を、ふと書き込めるようになると、読み手も心をつかまれるでしょうね。

椎根:そうなんですよ。恋をしてほしい!

◾️かつて「こうふく通信」をやっていた菅野が中心、という文脈

——今、東京で大学生活を送っている菅野さんにとって、「高校生あすびと塾」で「こうふく通信」を創刊した経験はどのような影響を及ぼしていますか。

菅野:一番直接的なところから言うと、「こうふく通信」をやっていたことで、上京してから日本食べるタイムスという大学生のメディアに関わることができました。大学生の立場ではあるけれど、地方や生産地に行って人と人とをつなげる、生産者と消費者をつなげるような活動をできているのは、楽しいことです。

あすびと塾に関して言うと、私が進学した年、上京した学生たちのための起業塾として「大学生あすびと塾」が始まったのですが、これは、かつて「こうふく通信」を創刊した菅野が中心、という文脈が強かったのかなあと。「高校生あすびと塾」では「食べる通信」以外に新しい事業が始まったという事例はありませんでしたので、半谷さんには、また学生と次の新しいことを、という考えがあったのだと思います。当時の私が、それを負担に感じていたわけではないですが、その意図は感じとってはいたかもしれないなあと。

あすびと福島は、(拠点の)南相馬でいろいろな企業研修をやっていますが、半谷さんは、取り組みの事例として「こうふく通信」を高い頻度で出してくださっています。それもあって、関わる方たちが「こうふく通信の菅野」と認識して声をかけてくださるのはうれしいことなんですが、一方で、今の私はあすびと塾を離れての活動も始めています。そして今、実際に活動しているのは後輩たちです。もっとそちらに注目してほしいという思いもあって。

——常について回っているのですね。でも菅野さんご自身にとっても次の成長が必要でしょうし、後輩にとっても、自分たちのがんばりより先輩に光が当たるというのは……。

椎根:そう、難しいところなんです。今の話は、実は我々の社団にも当てはまる話で。ほとんど代表の半谷の看板でここまで来た組織ではありますが、「食べる通信」、企業研修、子どもたちの体験学習といった実績は、関わるそれぞれのスタッフの努力と思いがあってこそ、成り立っているわけです。そもそも「食べる通信」自体、食べものの向こう側の世界、見えない生産者さんたちの顔を知っていただくことを目的とした活動なわけですから、我々もそこに学ばなければいけないなと。半谷の組織ではあるけれど、志を持って関わっているスタッフ一人ひとりの顔をちゃんと見せていこう、というところに至りました。それは、「食べる通信」における今の彼女の話と同じだと思っています。

それでもやっぱり、高校の短い期間でこれだけ成長して……それは彼女だけでなく、後を継いだ後輩たちも、それぞれの地域、それぞれの大学でがんばっていること、「食べる通信」をステップにしてくれていることは、すばらしいことだと思います。彼らにもその思いがあるからこそ、稚魚が育って戻ってきてくれるというか(笑)、出荷手伝いますよ、取材も一緒に行きますよ、と今も言ってくれるのだと思います。

◾️高校生の「食べる通信」は、人の流れを生み出せる

——先日の「こうふく通信をみんなで読む会」に参加していたOBの大学生が、「『食べる通信』以外で高校生がここまで自分のふるさとと向き合う機会はない」と話していたのが印象的でした。菅野さんは、そのようにふるさとと向き合った体験が、自分のなかに何を残したと感じますか。

菅野:東京では、私の地元が福島だと言うと、「大丈夫だった?」と声をかけてくれる人がいる一方で、福島と震災が結びついていなくて「どこ?」みたいな人もいるんです。そういうとき、福島にはこういう人がいて、こういうおいしいものをつくっているんだよ、と説明できるのはいいなあと。他の地方出身の人と話をしても、誰もが知っている名産品の名前は出てきても、どの地域で、どんな人が、どんな生産物をという話までは出てきません。それを話せるというのは、すごくいいことなのだろうと思っています。

椎根:ああ、それは間違いないねえ。季節季節で、今は(編集部員の)瑠奈ちゃんの家の梨がおいしいころだなあとか、そろそろ山都の新蕎麦の季節だなあとか、生産者さんの顔が思い浮かんでそこに行きたくなるのも、「食べる通信」をやったからこそですから。

——高校時代からその経験を持てるというのは貴重なことで、うらやましくすらあります。もちろん、あの当時の福島だったからこそ生まれた事業なのだろうとは思いますが、今後、他の地域の高校生が「食べる通信」に取り組む可能性については、どう考えますか。

菅野:これが都会特有の考えなのか、個人の特徴なのかはわかりませんが、東京の人に福島の話をしたとき、「住めなくなったら別のところに引っ越せばいい。もっと便利なところに住めばいい」と言われたことがあって。東京って、地元という感覚より、職場に近い、学校に近いというような利便性を理由に住む場所なのかなあと、私は感じています。地方の人と比べて、地域への愛着が薄いと感じることもありますし。でも都会でも、地域でがんばっている人と出会ったり、その人をさらによく知ったり……「食べる通信」の場合はそのきっかけが農業ということになるわけですが、高校生がそのようにして地元を知ることができるという意味では、すごくいい取り組みではないかと思います。

椎根:そう思います。産業を知るということ以前に、高校生には、自分たちの周りにいる親や先生以外に、かっこいい大人に触れるという機会がまずないですから。「食べる通信」の場合は農業ですが、たとえそうでなくても、地域の経済の一員になっている人たち、縦横斜めの「斜め」の関係を築けるような大人たちとの出会いは、間違いなく影響を与えるでしょうし、自分もその一員になりたいと思うきっかけになり得ます。特に地方は、地元を離れて東京に行くことが成功のための階段の一歩、という感覚が未だにありますから。

——そこは大きくは変わっていないですよね。

椎根:はい。一方で今の時代、地方で働くことの魅力もだいぶ浸透していて、いったん東京に出たけれど、やはり地元に戻るという選択も当たり前になりつつありますよね。一極集中の社会に流されず、それぞれの価値観で自分たちなりの豊かさを見つけ、実現している人たちに出会い、影響を受けるというのはとてもいいことだと思います。そして今は、学校教育でもアクティブラーニングということが盛んに言われていますから、「食べる通信」は、教育現場でも有効に活用できるコンテンツかもしれないとも思うんです。先生方も知らない地域のリアリティに触れることができるはずですしね。その際はいつでも私たちのノウハウを提供いたします!

——なるほど。先生たちにとっても貴重な社会との接点になり得ますよね。

椎根:そうなんです。私たちは、県内の高校の先生方に「ぜひ生徒さんに参加してほしい」とお声がけすることもあるのですが、「いや、うちの子たちは、(現在の編集部員の在籍校である)進学校の子たちのように立派じゃないですから」という感じで、門を閉ざされることもあるんです。残念なことではありますが、これって地方にありがちな発想でもあって。先生たちが子どもたちの可能性を決めつけ、狭めてしまっていると思うんです。そうではなく、先生たちご自身も社会との接点を持ち、可能性を示すという意味で、「食べる通信」をやられたらいいと私は思います。行政が教育の手段としてそれを手がけるのなら、もうける必要もなくなるわけですし。

——今、地方行政は、何をどうしたらいいのかが本当にわからないのだと思います。移住移住と盛んに言われましたけれど、実際に移住した人なんて本当にわずか。そして今、「関係人口」という言葉がちょっと注目されたら、もうどこもかしこも関係人口ですからね。

椎根:高校生の「食べる通信」は、まさにその関係人口、交流人口のフックになる一つの芽だと思うんですよ。彼女もこうして福島との関わり方を早くから意識するようになって、進学してからも、自分が東京の子たちに伝えたり、東京から連れてきてくれたりと、エバンジェリスタになっている。関係人口をつくり出す側として、影響力のある人材になっているんです。それは、誰かにやれと言われたわけでは決してなく、彼女自身が福島に魅力を感じ続けているからこそ、人を呼べるわけで。高校生の「食べる通信」は、そういう人の流れを生み出す起爆剤になり得るツールではないかと思います。

——ちなみに、あすびと福島において、事業としての「こうふく通信」はどういう位置づけになっているのでしょうか。

椎根:まだもうかる事業ではありませんが、赤字は生んでおらず、位置づけとしては「収益事業」です。ただ、私自身の人件費はここからは出ていないので、今のところ胸を張ってはそう言えないですけれどね。代表の半谷が常に「志はソーシャル、仕組みはビジネス」と言っているように、これは我が社団におけるソーシャルビジネスという考えなんです。人件費などのコストは、立ち上げ期は別の事業で補えればよいと。

——必ずしも、「食べる通信」単体ですべてまかなえる事業に変えていかなければならないわけではない、と。

椎根:はい、ぬるいかもしれませんが(笑)。単号でいうと3万から5万円程度のプラスで、クール便で送った号は少しマイナスが出てしまうかな、というくらい。年間を通じての利益は20万円程度といったところです。

◾️彼らはビジネスパートナー

——菅野さんは、OBOGを含めた「こうふく通信」が、今後どのように育っていくことを思い描いていますか。

菅野:私は、現役の編集部の人たちに、これを続けること自体を目的にはしてほしくないと思っていて。もちろん、ずっと続いてくれるのが一番うれしいですけれど、やる気がなくなってしまったりとか、もう福島のことを自分たちが伝えなくても大丈夫、という判断になったりしたときには、終わりがあってもいいのかなあとは思います。

編集部員の関係について言うと、創刊のころのメンバーは今も仲がよくて、先輩後輩というより友だちの関係がずっと続いています。その下の子たちとはもう、私だと3学年4学年も離れていてあまり接点もないですが、高校生にとって、そのくらい年上の友だちってなかなかいない存在だとも思うんです。それは私にとってもそうなので、もっと近い距離で、親しい関係をつくっていきたいなと思っています。

——椎根さんはどうでしょうか。今後にどんな姿を思い描いていますか。

椎根:彼らが自ら育っていける場として、この事業は非常に意味のあるものだったと、最近になって強く思っています。それまでは、学生たちが意味を見出せなくなったら、いつでもやめていいという考えだったんです。でも、まさにこの智香ちゃんたちの世代は、「あのとき『食べる通信』をやったから、自分は今、こういうことをできているんだ」ということを実感してくれている世代。実際にそういう声を聞くと、継続の意味を感じますし、やはりこの先も続けたいなと思います。加えて、こうして事務局側をサポートしてくれる人材にもなってくれていますからね。できることなら引き継ぎたい!

菅野:おお!(笑)。

——そんな時代を想像できるところまで来ているのですね。

 椎根:そう、それがソーシャルビジネスとして一番よい形ではないかと思っているんです。もちろん、ちゃんと稼げる状態で渡すことができたら、ですけれどね。そのためには、高校生を脱却した世代と一緒に新しいコンテンツをつくるというのも、これから意識していける部分なのかもしれません。旅だとか、実際に食べる場づくりというのもありかもしれませんよね。私は、彼らのことをビジネスパートナーと思っていますから。友人でもありますしね。取材などに一緒に行くと、よく「先生」と呼ばれるんですが、それ、やめてくださいと(笑)。先生だなんて思ったことがないですし、偉そうなことを言うつもりもないんです。私は、一緒に仕事をするパートナーであるとずっと思っていますし、彼女たちから嫌われないパートナーであり続けたいなあと。

——その未来には、希望を感じますね。今の大学生世代が一度就職して、何かを身につけてから、「やっぱりそちらで一緒にやりたい」と帰ってくるとか。

椎根:そんなときが来れば、渡さないわ!とは言いません(笑)。

(取材・文 保田さえ子)

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◾️プロフィール

椎根里奈(しいね・りな)●1979年、福島県郡山市出身。不動産会社の株式会社リビタに勤務していた2011年、故郷に帰省中に東日本大震災に遭う。2012年4月より一般社団法人あすびと福島での業務に従事し、立ち上げ期から支える。福島の高校生向けの社会起業塾「高校生あすびと塾」運営などを担い、この塾から生まれた『高校生が伝えるふくしま食べる通信』で創刊時から事務局長を務める。

菅野智香(かんの・ともか)●1997年、福島県郡山市出身。県立安積(あさか)高校2年時より「高校生あすびと塾」に参加し、『高校生が伝えるふくしま食べる通信』を創刊。初代高校生編集長を務める。明治大学3年生となった現在も編集部や事務局をサポートし続け、上京した塾の卒業生が集う「大学生あすびと塾」にも参加している。


高校生が伝えるふくしま食べる通信

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福島県

はじまりは「大好きな福島が誤解されて悔しい」という想いから。創刊から5学年にわたってバトンをつないできた高校生編集部。企画、取材、原稿作成を通し、福島の志ある熱い生産者さんから多くのことを学びながら、毎号成長を重ねています。

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