7/2(土)開催「つながろう!くまもと座談会」(第1回食べ通オープンミーティング)会場レポート

先日開催した第1回食べる通信オープンミーティング「つながろう!くまもと座談会」の参加者であり、熊本出身のライター・高崎美智子さんから当日のイベントレポートをいただきました。震災を越え、気持ちを新たに再スタートを切る『くまもと食べる通信』の想いや熊本の今と今後の課題、大勢の皆さんにお越しいただいた会場の雰囲気が少しでも伝わることを願います。

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■この5年が勝負、未来に伝えたい熊本の「食」の風景

13603683_499412066918570_4433360998260292033_o7月2日、第1回「食べる通信オープンミーティング」に参加しました。ゲストは『くまもと食べる通信』代表の林信吾さん。林さんは東京の大手コンサルティング会社を“脱藩”して熊本にUターンし、事業戦略など実務の指南役として『くまもと食べる通信』を支えてきたキーパーソンです。

熊本地震の数日前、私は「編集長ストーリーズ」の取材で林さんとお会いし、南阿蘇村を訪れました。桜と菜の花が満開だった南阿蘇鉄道の小さな駅のホームや、野焼きを終えた外輪山の黒い山肌、阿蘇の入り口の赤橋、久々に訪れた阿蘇の春の風が本当に心地よかったことを鮮明に覚えています。

『くまもと食べる通信』(略称『くまたべ』)は、昨年11月に創刊。「100年後に伝えたい食の風景」をテーマに掲げています。今回の熊本地震で発行元となっている株式会社Eの事務所も被災したため、編集部はプレハブの仮設に移転。4月号の発送は遅れており、5~6月号は休刊を余儀なくされました。熊本県内のインフラや物流が滞るなかで、林さんは震災直後から「熊本支援チーム」を立ち上げて、『くまたべ』のメンバーと物資の支援活動に奔走。支援を呼びかけたFacebookの投稿が8000件以上もシェアされ、夜中まで電話が鳴りやまない日々が続いたそうです。

『くまたべ』は今、どうなっているの? これから熊本とどんな関わり方ができるの? とにかく熊本の現状を知りたい。今回のミーティングには、50人を超える参加者が集まりました。林さんのお話から私が特に印象に残ったのは次の3つです。

(1)100年後に風景を残すには、この5年が勝負

熊本市内から阿蘇に向かう主要道路は阿蘇大橋ルートと、俵山ルートの2つです。ところが今回の地震でどちらも通行できなくなってしまいました。今、阿蘇に入るには山越えルートしかありません。阿蘇は寒くて冬場は道が凍るので、出荷ができないし、阿蘇に入れない。売り上げが立てられなくて、もしかしたら潰れてしまう農家さんも出てくるかもしれません。

阿蘇の草原の野焼きのリーダーも農家さんです。農家をやめて都会に引っ越してしまうと地域の風景を残していくことは難しい。阿蘇の主要道路の復旧には5年かかるといわれています。100年後の風景を伝えていくためには、どれだけやめる農家さんを減らすかがとても重要で、この5年が勝負だと思います。道路が通行できる夏の時期にできるだけ農家さんのものを買ってもらって、なるべく利益を出してもらうことも大事です。

高齢者の方は農業をしながら年金暮らし。10年後にやめようと思っていたけれど、地震が起きて早まった感じです。でも、僕らが「何とか続けてください」とは言いきれない。どうやって農家さんを支援して農業を守っていくのか、とても難しい課題です。若手でやる気のある農家さんがいらっしゃるのは地域の光ですが、それ以上にやめる方が多いんです。物産館や旅館・ホテルに出荷している農家さんは観光客が減り、納品先がなくて困っています。特にこだわりを持って作っていらっしゃる生産者さんほど被害を受けています。そういうところも支援していきたいです。

(2)本当に困っている農家さんほど声を出せない

実は農家さんは震災直後が一番大変でした。物流がストップして、春物の野菜や果物の最盛期なのに出荷できなかったからです。物資支援が落ち着いてきて、農業支援に目が向き始めた頃は端境期でモノがない。熊本の食材を食べて応援したいという声を頂いても、それに応えることができないこともありました。

農家さんはみんな地域の自警団や消防団に入っているから、震災が起きて地域が混乱している時はそういう役割を担わなければならない。どれだけ出荷や農作業を一番やらなきゃいけないシーズンであろうと、地域を守るためにそういう活動に行かざるをえないんです。農作業が遅れたという意味では、熊本の農家さんはみんな被害を受けています。

Facebookでも「困っている農家さんはメッセージを下さい」と投稿しましたが、実際に声が届くことはほとんどありませんでした。SNSを使う農家さんは先駆的な農家さんです。本当に困っている農家さんはそもそもSNSを使っていないし、自分で手を挙げられないんです。一軒一軒の農家さんをまわってヒアリングしない限り、誰が本当に困っているのか洗い出せない。それが課題だと思います。

(3)「100年後に伝えたい食の風景」、これから『くまたべ』にできること

阿蘇の草原の風景は野焼きによって残されています。天草の崎津の教会は、漁師さんの無事を願う一人一人の強い信仰心から育まれたものです。熊本の観光資源は食に関連するものが多く、一次産業の営みが風景をつくっています。熊本は本当に素敵な風景がいろいろあります。これから『くまたべ』を通じて、熊本の美しい景色や頑張る生産者さんの姿などプラスの魅力をどんどん発信していきたいです。7月号は南阿蘇村の農家、大津エリさんを特集します。農業やエネルギーを通して熊本の未来を描きたいです。 

高橋博之さんとよく話をするのですが、たまたま5年前に東北で地震が起きて、5年後に熊本で起きて、いつどこで地震が起きてもおかしくない時代です。そのたびに困っているから支援してほしいといえば、疲弊してしまう部分もあると思います。だから、自立モデルを。被災したから助けるという支援モデルではなく、もっと熊本の魅力を前面に出すことで応援したくなるような支援モデルを作れたらいいなと思っています。来たくなる、食べたくなる、そして選びたくなるような熊本でありたいし、そういうPRをしていきたいです。

(以上、林信吾さんの話)

13568883_1355789951105027_4527211991525070271_oオープンミーティングでは、林さんの話のほかに、熊本で農業支援ボランティアに携わった河部吉朗さんや、南阿蘇村を訪ねたばかりの読者の関口雅代さんにも現地の様子をうかがいました。仮設住宅の状況や熊本の暑さ対策、観光や農業支援、ボランティアなどの情報も参加者同士で共有できたので、何らかの形で次のアクションにつながればと思います。同じ熊本県内でも直接的な被害は地域によってまだらもようです。風評被害は一律で観光客はどの地域も激減しているので、機会があればぜひ熊本に来てほしいという声も目立ちました。

熊本出身の私の心のなかにも100年後に伝えたい熊本の「食」の風景がたくさんあります。メンバーの入れ替わりや大地震という逆境に立ちながらも、林さんの『くまたべ』に対する想いや軸は全くぶれていなくて、ふるさと熊本でこれからどんな物語が紡がれてゆくのか楽しみです。7月から1ヵ月間、長野県出身で学生インターンの加藤翼くんも『くまたべ』のサポートに入っています。熊本は元気です。私の大好きなふるさと熊本は、そぎゃんことでくじける熊本じゃなか。そう信じて私も引き続き応援していきたいです。

(取材・文:高崎美智子)