全国4誌目として始動した『神奈川食べる通信』は、“都市型食べる通信”の先駆けともいえる。創刊者は、「80km圏内で生産された食材を80%以上使う」をコンセプトとする地産地消レストラン「80*80(ハチマルハチマル)」(横浜市)のオーナー、赤木徳顕さん(51)。飲食の舞台から、情報発信というフィールドに踏み出した志とは。
——もともと野村総合研究所でコンサルティング業に就いていた赤木さんですが、一次産業の世界に入られたきっかけのところからお聞きできますか。
2000年、いわゆるインターネットバブルの時代に、会社を辞めてベンチャーを興しました。それが本でも、パソコン部品でもよかったのかもしれませんが、たまたま食のベンチャーだった……という不埒な話です(笑)。主に鮮魚の販売をしていたんですが、その食というものを掘り下げていったとき、僕のなかで「地産地消」という概念が非常に大事なのではないか、という思いに至ったんです。そこから、米なども売れないかと考え、藤沢市の農家がつくっている合鴨米のチラシを『朝日新聞』鎌倉版に折り込んでみたりもしたんですが、問い合わせは0件。これは啓蒙みたいなところから始めないといけないのかなあと思って、飲食業にまで足を踏み込んだわけです。
——それがこの「80*80」というわけですね。この店もそうですが、赤木さんが地産地消に強い思いを抱かれる理由は何なのでしょうか。
食にまつわるあらゆる問題は、「食べる人」と「つくる人」が離れてしまったことにあると思っているからです。流通もしかりですよね。農産物が規格化される。保存状態をよくするために添加物が入ってくる。そういうものをやめさせるには、両者が「近づく」しかないと思っている。僕自身、そもそもスモールネットワーク的なものが好きなんです。雁の群れが、すごくシンプルなルールのもとにあの形を成して飛んでいる……みたいな世界に萌える。その対極が、それこそマイクロソフトみたいな巨大な世界だと思っています。
——2011年には震災がありました。それは、都市の食の脆弱さが浮き彫りになった出来事でもありましたよね。当時、赤木さんはこの横浜という都市で地産地消レストランをされていて、どんなことを感じていましたか。
地産地消をやっていてよかった、と思いましたよ。もちろん神奈川でも、お茶から放射能が出たというような震災とは別次元の問題はありましたけれど、この店では、米に困ることも卵に困ることもありませんでした。農法にしろ何にしろ、在来のものは有事に強いと感じました。残念ながら、あれだけの有事を経ても、地産地消の価値が見直される流れにはなりませんでしたけれどね。
——2014年11月に『神奈川食べる通信』を創刊し、当初は苦戦されたと聞いていますが、今では“現地体験型”という神奈川の独自色で盛り上がっている様子が伝わってきます。そこに至るまでにはどんな経緯があったのですか。
僕は、やるといったらやっちゃう人間で、雑誌の記事で高橋博之さん(『東北食べる通信』編集長)のストーリーを読んで、これだ!と思ったから創刊の手を上げたわけですけれど、当然ながら同じ方法でうまくいくわけがなかったんです。『東北食べる通信』からは「SNSが大事だ」とアドバイスも受けたんですが、神奈川と東北では生産者も消費者も違います。東北は復興という旗印のもと、博之さんのような熱い人が語りかけて集まったコミュニティです。マイルドな生産者とマイルドな消費者のここ神奈川で、SNSで盛り上げるというのは、何かが違っていた。
この「マイルドな生産者、マイルドな消費者」というのは、僕が10年間、飲食店を通じて地産地消をやってきたなかで感じたのと同じ課題でした。何かを変えなきゃという思いが芽生えて、2015年3月に始めたのが座談会行脚だったんです。
——危機感のもとは、具体的には「読者が伸びない」と……。
そう。加えて実感も得られなかった。皆無ではないんですよ。20人くらいのコアな読者は店にも来てくれまして、内容の濃い議論をしていました。でも何かヒットしていないなあ、と。座っていてもしょうがないから、まずは人づてに横須賀に座談会をしに行ったんです。
そのときの参加者の一人が、平塚の芋を特集した創刊号を見て褒めてくださった。一方で「俺、自分で会いに行っちゃうなあ」という意見もくださったんです。確かに、県内在住なら生産者にじかに会いに行けてしまう距離なんです。そこで、「この冊子と食べものを、現地で受け取れるクーポンをつけたらどうか」とアイデアをいただいたわけです。
——なるほど。神奈川のそのアイデアの発端は、座談会だったんですね。
神奈川の十八番のストーリーは、全部それですよ。僕発のアイデアってない(笑)。座談会を繰り返し、その場その場でアイデアをいただくようになっていったんです。あのときのあの言葉がなかったら、今頃どうなっていたんだろうなあと思います。
——読者の現地受け入れがスタートしたのは、2015年夏の「湘南きゅうり園」吉川貴博さんの特集からでしたね。
最初に吉川さんに相談に行ったとき、実は彼自身も以前から体験農園をやりたかったんだという話を聞きました。園内で、7種類のきゅうりをきれいに7列に植えているのは、作業効率より、体験に来たお客さんに見せることを考慮したからなんです。ただ彼の一日を見ていると、とても受け入れなんてする余裕はない。
だったら、受け入れを僕たちにやらせてくれないかと言いました。僕らが園内で読者の案内をするし、作業のアドバイスもしましょう、と。そこに6人くらいの熱い読者から手伝いたいという手も上がってスタートしました。受け入れは土日曜に固定して、読者有志を含めたスタッフがローテーションを組んでその対応をする。空いている時間には、配達希望の読者への出荷作業もする。そんな仕組みをつくりました。
——実際に読者を受け入れた吉川さんは、赤木さんの目にどう映りましたか。
変わりましたね。ちょっとめずらしい農園ですから、もともと視察を受け入れたりはしていたんです。その視察団は、バスでわーっと来て、わーっと帰っていく。『神奈川食べる通信』は違うじゃないですか。ばらばら、ばらばらと来る(笑)。
彼らの日々の仕事において大変なのは、なんといっても人繰りです。「作業が間に合わない」という場面がどうしても出てくる。実は、僕らの読者受け入れ期間にもそういうことがあったんですが、スタッフたちは、死にものぐるいで詰め込みまで手伝った。彼らにはそれが力になったようです。ばらばらとやって来る読者に脅威を感じながらも、なんというか、「助かる」体験をしたんですよね。そこで吉川さんは、そのお返しというわけじゃないのでしょうけれど、家族会議をした。そして、もともとすごく汚なかった農園のボットン便所を、きれいなトイレに替えたんです。これってどういうことかというと、「人の目に触れる」意識が生まれたということですよね。僕は、とてもよい変化だと思いました。
——この件は、『神奈川食べる通信』にとってみれば、吉川さんの“イベント”ではなく、“日常”の大変な部分を体験したということにもなりますよね。
そういうことです。東京から来たという、ちょっと頼りなさそうな大学生の読者がいたんですが、彼にまでその大変な作業をやらせちゃったわけ(笑)。そうしたら、「いやあ、きゅうり農家さんって、ほんっとに大変なんだということがよくわかりました」と言うんです。流れに飲まれてしまったことが、かえって新鮮でよかったんだと思います。
——『神奈川食べる通信』は、いわゆる都市型です。地方の場合は、食材に強いブランド力があったり、旅先として行きたいという土地のフォロワーがついたりしやすいですが、都市の場合は、その強みがないという難しさがあるのではありませんか。
いや、都市の場合は生産者が「身近にいる」わけですから、それをシャッフルする楽しみがある。これが『東北食べる通信』だったら、僕らのように頻繁に通えないし、集えないでしょう? そこは、都市型のよさですよね。
僕は地産地消を志して以来、ずっとCSA(Community Supported Agriculture。地域社会で支える農業)をやりたいと思ってきた人間です。でも、この「80*80」という店をやっているだけではそれができなかった。それが今、『神奈川食べる通信』のコミュニティで、CSAについて語ってみよう、始めてみようという動きになっているんです。『神奈川食べる通信』という箱があったからこそ、この熱い人たちを集められたのだと思っています。
——神奈川版のCSAは、今、具体的にどういう段階まで話が進んでいるのですか。
ちょっとだけ種あかしをします。CSAというのは、要はある生産者の作物を、会員が定期的に、定額ぶん購入するという仕組みです。それについて、うちのコアな読者たちに意見を聞いてみたら、それを受け取るのは厳しいっていうんですよ。
——厳しい?
そうそう、僕もまさにそんな反応でした。「え、あなたたちでも厳しいの? 農家を応援したい熱い人たちではなかったの?」って(笑)。聞いてみると、たとえば受け取り日時の予定を立てづらいだとか、自分自身も市民農園でつくっている野菜があるだとか、それぞれに事情があっての意見だとわかった。実に都会的な、正直な意見ですよね。
そこで僕は、飲食店主としてひとつ提案をした。定価を上げて、店舗で調理加工したものを受け取ってもらえる仕組みを考えたんです。それを持ち帰ってもらってもいいし、ここで食べてもらってもいい。生の素材と加工が半々でもいい。そんな提案をしたら、「それならやってみたい!」となった。僕は、これはなんだかとても神奈川っぽくていいなあと思うんです。読者の一人が言っていたのは、「『神奈川食べる通信』のCSAのコンセプトは、マイファーマー・マイキッチン・アンド・ミー(My Farmer, My Kitchen and Me)だねと。
——元来のCSAにおける生産者・消費者の関係のなかに、飲食店を介在させることによって、双方にメリットのあるCSAになるということですよね。
そう。この仕組みであれば、たとえば単身のお客さんも参加しやすいんです。これが生の作物だけとなると、僕だとしても「今日はCSAの日だからお料理しなくちゃ。早く帰らなきゃ」と追われることになると思う。しかも、受け取る素材の中身は受け取ってみないとわからない。都市の読者にとっては、そこが楽しみであると同時に重かったのでしょうね。
このあいだ、ある農家のお母さんにCSAの話を持ちかけてみたら、「私は全部調理加工されるのは嫌だ。ハーフハーフがいい」というんです。その代わり、必ず私がレシピをつけるからって。同じ神奈川でCSAを考えるのにも、いろんなベクトルがある。それをシェアすれば盛り上がると思うんです、いくらマイルドな消費者でも(笑)。加工したものはこうだったよ、私はこう調理したよ、じゃあ次回は私もハーフハーフでいこうかな、と。いわばカスタマイズです。難しい問題もまだたくさんありますが、なんとか形にしたい。
——今も各地で『食べる通信』を創刊したいという輪が広がっていますが、赤木さんは、その先の世界がどうあってほしいと望んでいますか。
多様であることが大事だと思っています。ただ、今はやや多様すぎるのかな、とも感じる。僕は編集長陣のなかではおじさん世代ですから、「目利きは大丈夫か」みたいな懸念はおぼえます。各地域には、その地域の食材を目利きできるキーマンのような人がいるものです。力のある八百屋の社長とかね。僕は、そういう人たちがもっと立ち上がらないかなあと思っています。こちらから引き込むのも手だと思う。そういう人たちは、メディア力はなかったりするんですが、僕みたいに何も考えずに飛び込んでしまったらいいんです。僕のやり方は、出版のプロからは「あり得ない、信じられない」と言われましたけれど(笑)。
2015年11月号は大磯町が舞台なんですが、そこで町おこしをやっている原大祐さんという方がいます。彼は「大磯市(いち)」という港の青空市を始めて盛り上げているんですが、その道のプロだったらやらないようなやり方で成功させているんです。その点、僕のいう各地の目利きのような方たちは、たとえば八百屋のような現業があって、それを飛び越えてまで、僕たちのようなふわふわして見えることをやろうとは思わないのかもしれない。
——確かに『食べる通信』は、それですぐにメシが食えるという活動ではない。創刊している人たちは、それでもやっていかなければならないという意志でやっているわけですが、現業の方たちに同じ感覚を理解してもらうのは、まだ難しいのかもしれませんね。
大磯には「大磯農園」というところがありまして、彼らは山の中の田んぼを開拓して、酒米をつくって、酒までつくっちゃった。ただ、いわゆる生産者ではなく、アマチュアの考えで始めてブレークしちゃった人たちです。僕らの『食べる通信』は、いわば生産者応援チームですから、彼らを取り上げることには躊躇もあったんですが、その彼らがいみじくも言ったんです、「うちがやっているのは三次産業だ」と。端から一次産業だと思っていない(笑)。彼らは農園で講師をしたりして収入を得て、それを仲間の若い農家に還元し、育てている。僕、それを聞いていろんなアプローチがあっていいんだと思ったんです。すごいですよね。イノベーションって、そういうところから生まれるのかもしれない。
(文・保田さえ子、写真・森崎一寿美)
■プロフィール
赤木徳顕(あかぎ・とくあき)●1964年、東京都生まれ。神奈川県在住。野村総合研究所勤務を経て、2000年よりウェブサイト「まごころドットコム」にて鮮魚販売を開始。05年、地産地消レストラン「80*80」開店。14年11月、『神奈川食べる通信』創刊。