表舞台に立たない漁師たちに光をあてるのは漁協の使命 −−『綾里漁協食べる通信』編集長・佐々木伸一

『綾里漁協食べる通信』編集長の佐々木伸一さんは、漁協職員で漁師だ。綾里は三陸にある約2600人の漁村で、人口の6割が漁協の組合員や家族という。海とともに暮らすこの地域は、明治三陸大津波で38.2メートルの津波が遡上した記録が残り、東日本大震災でも家屋や漁船流失などの被害に見舞われた。奇跡の復活を遂げた綾里の浜で、佐々木さんは日本初の漁協の「食べる通信」を創刊。漁業の現場を舞台に新たな未来予想図を描こうとしている。

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■寡黙な漁師が日本の漁業を支えている

――佐々木さんはなぜ『綾里漁協食べる通信』を立ち上げたのですか?

綾里漁協には450人の生産者がいます。多くの生産者はSNSになじみがなくて、消費者とつながる素晴らしさを知らないまま、健気に海に通っています。情報を発信する術を持たない寡黙な漁師たちが漁業を支えているのです。表舞台に立たない彼らに光をあてることは漁協の使命だと思いました。

『綾里漁協食べる通信』を立ち上げたのは、漁業の現場の声を直接発信して、生産者と消費者がつながるきっかけを作りたいからです。食べる人の声は生産者の励みになります。漁業にやりがいや誇りを持つ元気な生産者を増やし、綾里の浜から日本の漁村の未来を変えていきたいという思いがあります。

――綾里漁協ではどんな仕事をしていますか?

綾里漁協では、主に財務や経理業務を担当しています。自分は漁師の息子として育ち、子供の頃から父の船に乗って漁の手伝いをしていました。平成4年に高校を卒業して綾里漁協に就職し、今年で23年目です。入社した頃は、漁協といえば新日鉄と同じぐらい安定した地元の就職先として人気がありました。漁業はこの地域の主産業で、「漁協さ入れば、一生食いっぱぐれねえから間違いねえべ」といわれた時代です。この20年で漁業を取り巻く状況がこんなにガラリと変わるとは思いませんでした。

――「食べる通信」を知ったきっかけは?

『東北食べる通信』の2014年4月号で、綾里の恋し浜ホタテが特集されたことがきっかけです。佐々木淳さんというホタテ漁師が誌面に登場して、たくさんの反響がありました。恋し浜に淳さんを訪ねる読者ファンも多く、生産の現場に興味を持ってもらうひとつの方法だと思いました。

『東北食べる通信』は、生産者と消費者がふれあうにはいいツールです。ただ、毎回1人の生産者だけにスポットがあたることが気になっていました。そもそも生産者は1人じゃない。その後ろにいる多くの生産者はどうなるのかと。歌って踊れる漁師もいれば、寡黙な漁師もいますから、漁協としては伝え方が難しいと思った記憶があります。

高橋博之さんが綾里に来たとき、そういう話をしたら「漁協でやってみたら面白いんじゃないか」という話が出ました。日本各地で食べる通信が創刊されるなかで、生産者に最も近い漁協が発行する「食べる通信」はなかったんです。

創刊を決意したきっかけは、地元のワカメ生産者の声でした。彼らは「食べる通信」に興味を持っていて、いつか誌面で自分たちのワカメを世に送り出したいと思っていました。現場からそういう声が出たので、俺は「食べる通信」の良さを充分に理解しないまま、「やる」と言って走り出してしまった。生産者の意向をカタチにするのが漁協の使命だと思っていますから。博之さんが綾里に来て、ワカメ生産者の話が出たのが2015年2月。それからスピード展開でしたね。都市住民による「綾里漁協ファンクラブ」も創刊前から励ましてくれました。

■日本初、漁協だからできる現場密着型の「食べる通信」

――生産現場に最も近い漁協が自らメディアを立ち上げたことは興味深いですね。

sasaki-shinichi-2『綾里漁協食べる通信』は、綾里という漁村を舞台にした一番小さな「食べる通信」です。目が届く範囲に生産の現場も編集部もあります。漁業のリアルな営みを発信できるのも、生産者と現場が近い地元の漁協ならではの強みです。俺は漁協職員で、生産者でもあり、漁業の現場を熟知しています。自分で船を操って漁もする。自らが取材対象にもなり得ることが他の「食べる通信」の編集長と違う点だと思います。

――創刊にあたって大変だったことは何ですか?

日本食べる通信リーグが提供する、受注管理や決済などを行う「webシステム」の仕組みがわからなくて大変でした。事務局にサポートしてもらったのですが、資料を何度読み返してもなかなか理解できない。漁協がいきなり取り組むには難しいシステムだと感じました。出版や制作に関しても俺は素人だからわからない。そこはやっぱり苦労しましたね。

ただ、編集や制作経験がなくても、自分の頭のなかに伝えたいことはイメージできると思います。学校で絵を描くのと同じで、上手な子もいれば、下手な子もいる。出版や制作の仕事をしている人はそれを形にするのがうまいけど、素人には難しい。でも、見る角度はまた別です。どうやって描けばいいか。具体的に形にする方法は、プロの人たちの力を借りて、実際に作りながら理解していったという感じですね。制作はライターさんやデザイナーさんとチームを組んで進めています。

――『綾里漁協食べる通信』を創刊して、地元での反響はどうですか?

創刊号のワカメ特集では、記事に掲載された人だけではなく、ワカメ生産者のみんなが喜びました。「次はおらほものっけてけろよ」と。予想通りの反響でしたね。現在の購読者数は約230人で、約20人が地元の読者です。

創刊号で事務管理や発送作業までの流れを経験し、第2号では「蝦夷アワビ」を特集しました。綾里の場合、アワビ漁の解禁日は11~12月で年間に6回しかない。天候に左右されるので配達日が指定できないという、「食べる通信」でも前代未聞のハイリスクな企画でしたが、無事に読者の方々に届けることができました。

アワビ特集では綾里の各浜でトップの漁師たちを取り上げたので、地元の生産者や、漁協の理事会でも興味を持つ人が多かったですね。取り上げてくれた新聞の記事を見て、スーパーや商店で声をかけてくる人や、「綾里のあれ(食べる通信)が読みたいんだけど」と漁協の窓口に来る人が増えました。漁師の奥さんがフェイスブックを始めて読者と交流したり、漁協の女性部から料理レシピの本を出したいという声が出てきたり、今まで考えられなかったことが起きています。『綾里漁協食べる通信』から始まった新たな動きです。

――現時点で編集長としてのやりがいや手応えはどうですか?

一番の手応えは、生産者が喜んでいることです。生産者が何をしたいのかを明確にするのが漁協の役割で、『綾里漁協食べる通信』はそのきっかけ作り。今は小さな一歩ですが、掛け算のようにどんどん広がっていく感じですね。

■三陸は豊饒の海、今こそ漁業の誇りを取り戻したい

sasaki-shinichi-3――『綾里漁協食べる通信』で食べる人とつながり始めたことで、綾里の浜や生産者の方々にも少しずつ変化が芽生えていますね。

今の40~50代の生産者は「後継者がいない」というけれど、自分の子供たちはお金をかけて大学まで出して、生産者や漁師にはしない人がほとんどです。後継者がいない一方で、自分の息子はサラリーマンにしたいという。それって大きな矛盾じゃないですか。漁業の現場はどこも同じような矛盾を抱えていると思います。地元の若者は漁業を継がないで都会に出ていく。外から来た人は漁業に興味を持ってその素晴らしさに共感し、漁師になりたいのになれない。そのねじれをなんとかしたいという思いがあります。

今の現役世代が「子供を大学さ行かせねば、将来がない」という雰囲気になっているから、この世代の意識を変えないと。「大学さ行かなくても漁業があるから大丈夫だ」と言えるようになりたいです。昔は漁業も稼げた時代で、大卒の月給が5万円の頃に漁師は20万円ぐらいもらっていたそうです。だから、俺よりも上の世代は「浜があるから」みたいな感じで、俺たちの世代までは後継者もいたんです。でも、今後の浜はどうなるか。少子化のスピード以上に漁業の担い手が減っている現実があります。

俺にも2人の息子がいます。「息子さんに漁業をさせますか?」と聞かれたときに、子供の幸せや生活を考えたら今の状態で「はい」と言えるだろうか。そこが漁業の課題です。胸を張って「ぜひやってほしい」と言える状況に変えていきたい。次の世代を担う子供たちに、漁業という仕事はカッコいいなと思ってもらえるようなやりがいや誇り、魅力をこれからどうつくっていくかです。

――東日本大震災からまもなく5年が経ちますね。

この5年間は激動の日々でした。今まで経験したことがない大震災でマイナスからゼロに戻すまでに相当なエネルギーが必要でした。生産者は戻ってくるのか不安でした。でも、もがきながらも、なんとか元に戻れるものなんだということも経験しました。

漁師たちはやらねばと言って立ち上がるし、海を相手に生きる志や、漁業を復活させようとするエネルギーは本当にすごいと感じます。それでも海に行く。あらゆるものがなくなったから、同じものに戻すんじゃなくて、もっといいものにしたいと言うんです。「ねえんだもの、それならもっといいもんをつくるべ」と。

だから、津波を逆にチャンスと捉えて、漁業の素晴らしさを子供たちや若者に再認識してもらう機会にしたいと考えています。目の前に豊かな海があっても、生産者がいなければ海は生かされない。浜をみんなで育むことが、日本の漁業を守ることにもつながるんです。

■漁協の新たなロールモデルに、成果の可視化が今後の鍵

――『綾里漁協食べる通信』は、協同組合が取り組む新たな事業のモデルケースとしても興味深いですね。

sasaki-shinichi-4綾里漁協のなかでは事業分野としてまだ認められていませんが、いずれは『綾里漁協食べる通信』をひとつの事業として確立したいと考えています。漁協の事業として取り組むならば、数字での成果は不可欠です。『綾里漁協食べる通信』の場合、単純に損益分岐点や収支の数字だけではなく、生産者や地域にもたらす波及効果の大きさが評価されてこそ、事業の確立だと思います。でも、その成果がすぐには目に見えないから難しいんですよね。今まで全くやったことがない分野です。

他の漁協もそうですが、成果が見えないものに手は出さないわけです。補助金もつかないから。おそらく「食べる通信」の仕組みに興味があっても、様子を見るところが出てくると思います。今後、『綾里漁協食べる通信』が漁協の新たな事業のモデルとして、補助金などを活用できるようになれば、他の漁協もチャレンジしやすくなると思います。

――他の漁協から問い合わせはありますか?

ありますね。「食べる通信」の仕組みや趣旨を説明すると、やはりネックになるのがお金とマンパワーの部分です。漁協としての本業があるし、漁協が「食べる通信」をつくるために専任職員を置くことはまずありえないですから。資金繰りと人材をどうするか。それは漁協や農協に限らず、多くの現場で「食べる通信」を発行する上での課題だと思います。そこを解決しなければ、本当の意味での都市と地方のかきまぜはできない。そのためにも『綾里漁協食べる通信』は、これから成果を出さなければならないと思っています。

今後、漁協や農協、産直(産地直売所)などに「食べる通信」の輪を広げていくときに、地元にシステムや編集制作に詳しい人がいないことも課題のひとつです。全国津々浦々、そういうところのほうが多いわけですから。たとえば産直グループのお母さんたちが「食べる通信」をやってみたいと声を上げたとき、システムが難しくてあきらめるような思いはさせたくないんです。せっかく灯った火を消したくないじゃないですか。もっと実現しやすくなるシンプルな仕組みがあればいいと思います。

■この浜から漁業の未来を変えていく

――『綾里漁協食べる通信』の今後のビジョンは?

sasaki-shinichi-5450人の漁協組合員に1人ずつ読者ファンをつくることが目標です。綾里の浜で漁業体験や民泊ができて、生産者と読者が直接交流できるコミュニティづくりをしたい。いつでもふらりと訪れることができる親戚のような関係性、目指すところはそこですね。ゆくゆくは漁業に関心を持つ人が漁業に従事したり、綾里に移住できればいい。今はその種をまいている段階で、どんな実をつけるか楽しみです。

都会からいろいろな人が綾里に来て、それぞれの生産者にファンや後継者が生まれて、綾里の浜が活気を取り戻していく姿を見せること。そのときに初めて、他の協同組合も「綾里漁協みたいなことをやってみようか」という動きにつながるはずです。

――漁協や農協など協同組合での創刊を考えている人に伝えたいことは?

漁協は何のためにあるかを再認識することが大切だと思います。生産者は何をやりたいのか、生産者のために漁協は何ができるのか。本来あるべき姿をまっとうすればいいと思うんですよ。住民がいるから行政があるように、生産者がいるから漁協がある。やる気のある漁師を育てて、浜の営みを継続させていくことも漁協の仕事です。

生産者に最も近い漁協だからこそ、できることがたくさんあります。生産現場の声を発信することも大事です。今の時代は情報がある人はどこまでも進歩するし、情報がない人は何も知らないままです。情報に疎くなりがちな農山漁村では、そういう格差がどこまでも出てくるわけですよ。情報の格差は一次産業の市場とまさに同じで、現場の生産者にしわ寄せがいくんです。だから、その構図を変えていきたい。それが『綾里漁協食べる通信』に取り組んでいる一番の目的です。

(取材・文:高崎美智子)

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■プロフィール
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佐々木伸一(ささき・しんいち)●1973年、岩手県大船渡市三陸町綾里生まれ。高校卒業後、綾里漁業協同組合に入社。漁協では経理業務や営漁指導などを担当している。2015年9月に『綾里漁協食べる通信』を創刊。多忙な日々の傍らで地元の少年野球チームの育成にも力を注ぐ。