「地域づくり」の一貫として、都市からくる人にも関わってほしい−−『伊勢志摩食べる通信』編集長・竹内千尋

美しい海と、その恵みである伊勢エビ、アワビ、真珠。参拝者の絶えない伊勢神宮……。“豊かさ”を思わせる材料に事欠かない伊勢志摩地域だが、実は人口は減少の一途をたどり、生産現場の後継者不足も深刻な状況にある。2015年冬、『伊勢志摩食べる通信』を創刊した前志摩市長の竹内千尋さん(56)は、この事業を“町づくり”方策のひとつとして明確に見据えている。

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■受動的だったこの地域に、じわじわと現実が迫る

——まず、現職の志摩市議員である竹内さんが「食べる通信」を知り、創刊に至った経緯を教えてください。

私自身が以前に牡蠣関係の仕事をしていたとき、岩手県山田町、大槌町などで牡蠣養殖をしている漁業者や住民の方たちとのご縁がありまして、震災の後にも足を運ばせていただいていました。この先の復興のためにはどうしたらよいのか、という話もあったなかで知ったのが『東北食べる通信』です。全国的にもそうですが、私たちの志摩地域も今、震災のような目前の危機はないまでも、人口減少というピンチを迎えている。何かアクションできないかという考えのなかで、日本食べる通信リーグの事務局に話を伺うことにしたんです。体制づくりには少々ばたばたしましたが、伊勢志摩サミット(2016年5月)開催が決まっていたというタイミングもあり、ここで創刊しようと。

——地元の方々からの賛同は、いかがでしたか。

創刊に当たっては、たくさんの方に賛同していただきました。一方で、地元の方たちが自らこの取り組みに参画していこうという流れに、一層していかなければならないと思っています。

これまでこの地域は、受動的な姿勢でいても何かと恵まれてきました。温暖で、近鉄の特急で名古屋、京都、大阪と直通で結ばれており、伊勢神宮という名所もある。さほど困ってこなかった環境のせいか、どこか“待ち”の姿勢なんです。しかし、現実の数字は厳しい。例えば志摩市は、合併当時(2004年)は人口6万2000人でしたが、今はもう5万人弱です。高齢化率も30%を超えてきています。漁業者の数を見ても、漁師さんや海女さんが年間に150人くらいずつ減ってきている。年々このペースで減ったうえに高齢化が進めば、果たして10年後はどうなるんだろうかと。また、戦後この地域を引っ張ってきた真珠養殖も縮小し、水揚げは10分の1ほどになっている。地域の産業をもう一度見直し、現実的な数字も踏まえた対策を考えていかなければ、この地域自体の持続可能性がなくなるだろうという状況です。

震災のような突発的な危機が目に見える形で迫れば、誰もが切迫感を持ちますが、現実はじわじわと来ています。人が減ってきている、仕事が減ってきている。そういう慢性的なものは、気づいたときにはもう手遅れという事態に陥りやすい。気がついた人たちが意識的に動かないといけない時代なのだと思います。私たちも、地域のなかで賛同者を増やしていくことと、消費者の皆さんとつながること、その両立を進めていきたいと考えているところです。

——現状の読者の比率は、どこの人が多いのでしょうか。

首都圏と、近隣の大都市である名古屋圏の比率が高いのが現実です。

——お隣りの奈良県でも『奈良食べる通信』が創刊されていますが、県内読者が7割ほどを占めているそうです。

素晴らしいですね。以前に奈良市長がおっしゃっていたのは「奈良にうまいもの無し」と言われていると。ただ、外から見ると地味かもしれませんが、そのぶん地元の方々が、伝統的な大和野菜ですとか、地域のものを大切にしていこうとされていますよね。『奈良食べる通信』の創刊号の食材もごぼうで、派手さはないですが、そこが奈良らしいといえば非常に奈良らしい。

一方で伊勢志摩地域は、アワビとか伊勢エビとか、割と華やかなイメージが強い。本当はその裏側に、地味な部分、命をかけてやっている部分があるんですけれど、どうしてもぱっと見が派手派手しいんですね。今後、継続的にどう読者に伝えていくかが大事だと感じています。

■伝えたいのは“生業を守れる”例を示している生産者の姿

——先ほど、この地域の切迫感の足りなさというお話がありましたが、生産現場の方たちに関してはどうでしょうか。

伊勢志摩サブ1例えば創刊号の伊勢エビの場合、漁師さんたちが資源管理をしっかりやっているんですね。その成果もあって漁獲量は比較的安定していて、収入もそれなりに上げています。漁師たち自身が「その取り組みこそがよいのだ」という認識でやっているんです。乱獲ではなく、管理のもとに漁業を行うのが大事なのだと。

2号目で特集した浦村地区の牡蠣の場合、30歳代の若い漁師の人たちががんばっています。ただ生産しているだけではなく、お店で自分たちの牡蠣を食べてもらうことや、産直にまで取り組んでいる。新しい漁業の形として成り立たせる努力をしています。

第3号で特集した真珠の貝柱については、経営体も売り上げ規模も全盛期の10分の1にまで減って、低迷が長く続いています。その状況のなか、表紙に掲載した「立神真珠養殖漁業協同組合」の女性部の皆さんは、体験教室という形で子どもたちを受け入れたり、自分たちがつくったものを自分たちで販売しに行ったりということに取り組んでいるんですね。自分たちで値段もつけられるようにという模索も含め、なんとか低迷を打ち破ろうとしています。

志摩の現状は、全体的に見れば厳しいものですが、『伊勢志摩食べる通信』では、地道に、技術開発を怠ることなく、まっとうにやっていれば生業を守れるという例を示してくれている生産者たちを紹介しています。

——実際にこれまでに発刊した号への反響はどうでしたか。

創刊号の伊勢エビのときは、名古屋で消費者の皆さん、これからの『伊勢志摩食べる通信』に興味を持っている皆さんとの交流会を開きました。そこに漁師さんが自ら獲った伊勢エビを持って行き、話をしていただいたんですが、皆さん伊勢エビの獲り方ですとか、どういう生きものであるかを知れたのはこれが初めてだと。名古屋と伊勢志摩は、電車や車で2時間ほどかかるとはいっても、同じ中部エリアで、比較的顔の見える範囲内にはあるんですね。でも、本物の漁師さんと話をしたことはなかったと。新しい伊勢エビの魅力を感じていただいたようで、そういう反響、反応があったのはうれしいことでしたね。

その会を一緒に開催した料理研究家の方は、その伊勢エビ漁師のところに船に乗りに行くという話でした。そこからまた教室の生徒さんたちに背景が伝わるでしょうし、その生徒さんたちが現地に足を運び、見聞きすることにもつながる。今後、こういう形も増やしていきたいと思っています。

——一方、特集された生産者の反応はどうでしたか。

その名古屋での催しに漁師の夫妻がいらっしゃったとき、大拍手だったんです。伊勢エビを獲っている漁師としてこんなに拍手をもらうのは初めてのことで、すごくうれしかったと。普段の仕事のなかで、大漁であったり、いい値段で市場で売れたりという喜びはもちろんあるのでしょうけれど、自分たちの獲った伊勢エビを、消費者の皆さんに直接届け、直接喜んでもらえたということに、鮮烈な印象が残っていると言っていましたね。

これは「食べる通信」というメディアのコンセプトでもありますが、生産者は、自分の獲ったもの、つくったものが、こういう風に料理してもらえているんだな、おいしく食べてもらっているんだな、と直接知ることができる。食べる側の人たちは、こんなに苦労して獲っているんだな、命がけでやっているんだな、夫婦仲良く獲っているんだな、時々夫婦喧嘩もするんだな……とか(笑)、ストーリーまで含めて頭で認識して食べる。そこに意味があると思っています。

■「編集」の枠組みを越え、地域づくりの一貫として

——「食べる通信」という事業と行政の関わりについては、どうお考えになっていますか。

私は最初の旗ふりだけはしますが、行政の人間は矢面に立たず、地元の当事者ががんばり出すのが理想です。私自身がこれまで行政の仕事をしてきて、昨年「食べる通信」を創刊したように、今後もそういった形はあってよいと思いますが、それが生臭いということなら(笑)、例えばIターン、Uターン組がもっとバリバリがんばるような形がよいかもしれません。

———創刊されるにあたって大変だったのは、具体的にどんなことでしたか。

これは今も続いている課題ですが、取材すること、書くこと、誌面を編集することはプロの方たちの経験値でやっていただけるのですが、生産者さんとのやりとり、発送の準備や調整などは、そういった編集領域とは違うと。関わってくださるスタッフの方たちとの間に意識のギャップがあったというのが正直なところです。今、そこを担ってくれる人を探しています。56歳の私のような世代ではなく、30代40代の若い方々が中心になってがんばってほしいですね。こちらはしっかりバックアップしますから。

——いわば事務局機能の右腕的な人材が必要だということですね。

そうです。この辺りで人口が減っているのは、仕事が減っているからというのももちろんあるんですが、Uターン、Iターンして地域に関わりたい人たちにとって、これはすごくやりがいのある仕事だろうと思いますね。

今、志摩では漁師さんたちが主体になって「漁師塾」というのをやっているんです。一定の給与を補償して担い手を育てる、地域おこし協力隊の漁業版のようなものです。もともと漁業には、よそ者を入れない排他的な側面がありますが、現在、漁業者のなかでも「このままだと本当に担い手がいなくなるぞ」と危機感を持った方々が門戸を開き始めたわけです。塾生は20数人いると思いますが、東京から来たケーキ屋の息子さんとか、京都から来た海女さん志望の女性とか、さまざまです。こちらに来て結婚した夫婦もいます。それによって、例えば空き家が解消されたり、若い力が高齢者の日常の助けになったりして、町の活気にもつながっている。

そういった都市からやってくる人たち、ここが好きでやってきている人たちに、「食べる通信」に関わってもらいたいなあという思いもありますね。編集作業という枠組みではなく、「地域づくり」の一貫という認識で関わってもらえたらと。

■「憧れの地」としての地方を創造する

——竹内さんは「食べる通信」のほかにも、太陽光発電の事業や、耕作放棄地を活用した天然染料インディゴの栽培プロジェクトなど、地域の活動を様々なさっています。そのやりがいはどこにありますか。

伊勢志摩サブ2私にとっては、ライフワークが町づくりみたいなところがあります。使命感といったら大げさですが、自分がやるべきことをしている充実感はありますね。そこは終始一貫していますから。

20代の頃からもう30年以上「地方の時代」といわれてきて、とどのつまりこれか!という思いがあるんです。県庁所在地などは別として、その先の地方が今、ものすごく疲弊している。先日の熊本での地震などを見ていましても、抱えている問題が根本的に変わっていないように感じます。それは一体どうしてなんだと。この流れを変えたい思いで活動しています。

私が35、6歳のとき、合併前の阿児町(現志摩市)の英虞湾と、フランスで牡蠣養殖の盛んなアルカッション湾との交流が始まりました。私は当時の町長から指名をいただいて、その第1回交流団の団長として現地を訪れました。そのとき感じたのは、アルカッションも一地方として非常に厳しいのは厳しいのだけれども、「パリもいいけれど、地方もなおよい」という雰囲気があること。ワインもおいしい、そこで獲れる魚もムール貝もおいしい。そして、はるか昔からそこに立っているようなビストロがあったりする。そういう「憧れの地」としての地方の姿を見ました。村を離れるという発想ではなく、その土地で美しい暮らし方をするというところを、日本も見習えるんじゃないかと感じたんですね。

私は20代の6年間、地元の志摩観光ホテルに勤務していましたが、当時は、総料理長の高橋忠之シェフの絶頂期でした。地域、太陽、土壌といったいわゆる“テロワール”に根差した産物を、例えばアワビのステーキだったり、伊勢エビのクリームスープだったりというフランス料理の技法で提供した。それが当時、革新的だったんですね。地方といったら都落ちのような響きがあったものですが、高橋シェフは、それをよいイメージにした方です。フランスには、そういう地方が当たり前のようにしてあった。ワイン、チーズといった食べものも、原産地呼称(AOC)という制度で規制をかけながら、地域の文化として守っています。それによって、地方が憧れの地にもなる。地方の人が、地方を表現している。

——伊勢志摩は、もともと豊かな食材に恵まれた地域だと思いますが、それがもっと地元の人々の誇りにつながっていけばよいということでしょうか。

そうですね。この地域は古くから「御食つ国(みけつくに)」と呼ばれ、朝廷に食べものを納めていた歴史もあります。伊勢神宮では、これまで1600年にわたり「日別朝夕大御饌祭(ひごとあさゆうおおみけさい)」という食べものを神様に奉る祭りを1日に2回やっています。この地域でつくられたかつおぶしであるとか、野菜、果物などをお供えし、自然に感謝して豊穣を祈る神事です。

そういった「食べものは人が生きるうえでの源である」という精神が、高橋シェフの料理には表現されていたと思うんです。例えば海女さんがとったアワビにしても、この畑で川口さんがつくっている南張(なんばり)メロン(『伊勢志摩食べる通信』第4号で特集予定)にしても、そのまま食べてももちろんおいしいですが、調理によって、より素晴らしいものになる。そういった視点も持ちながら、もっと豊かな地方を創造していきたいと考えています。

■「始めたがり」求む!

——今後の『伊勢志摩食べる通信』の活動に向けて、地域の方や、このインタビューを読んでいる方たちに伝えたいメッセージはありますか。

私自身が今、この活動に全速力では動けない立場にありますが、そこを一緒に担ってもらう方がいればもっと広げていけると思っているんです。この地域には「始めたがり」が少ないんですが、「食べる通信」は、まだまだやりたい放題できる事業です。伊勢志摩というこの地域で何かやりたい方、町づくりに興味のある方、Iターン、Uターン大歓迎です。私はより応援側に回りたい。だってもう56歳ですから(笑)。

そして、一次産業の世界にももっとチャレンジが出てくるといいと思っています。今はSNSもある。この「食べる通信」のようなメディアもある。昔に比べれば情報収集も、情報発信も、より安価に行えるツールはそろっていますからね。

(取材・文/保田さえ子)

 

■プロフィール

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竹内千尋(たけうち・ちひろ)●1959年、三重県志摩市生まれ。同市在住。大学卒業後、「志摩観光ホテル」勤務、阿児町長、志摩市長などを経て、現志摩市会議員。これまで精力的に取り組んできた町づくり活動の一環として、2015年に『伊勢志摩食べる通信』を創刊した。