闇と向き合うことは、自分と向き合うこと(第89回くるまざ感想)

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昨日、歌舞伎座の真横の公民館で開催した89回目のくるまざ、日曜夜にもかかわらず、おかげさまで満員御礼となりました。ご参加いただいたみなさま、ありがとうございました。パティシエ、本屋さん、盲学校先生、区議会議員、新聞記者、テレビマン、女子大生、グラフィックデザイナーなど、幅広い分野からご参加いただき、しかも多くが脱藩組とあって、さながら幕末の寺田屋を彷彿させました。

ゲストのカメラマン・郡山総一郎さんが向かっている現場に共通していたのは、コントラストでした。都会のアパートの孤独死の現場、富士の樹海の自殺の現場、酪農家が暮らしてた浪江町の集落の消滅の現場。一見、きらびやかに見える日本の豊かさも、一皮めくれば、こうした闇が突如姿を現します。それは美しくもあると総一郎さんは言いました。光と影。生と死。真実と欺瞞。原発事故、自殺、孤独死などの闇をぼくたちはなかなか正視することができません。むしろ目をそむけているとすら言えます。なぜか。それは、間接的加害者の自分と向き合うことに他ならないからだと、昨日の総一郎さんの話を聞いていて、改めて感じました。死から目を背けているのも、おそらく通底しています。

また、孤独死というと、一般的には悪いことと思われがちですが、昨日は、孤独死がなぜ悪いのかという視点も複数人から投げ込まれ、考えさせられました。家族の形態が変容し、家族を持たずに生きることもひとつの選択肢として社会に許容されつつある今、孤独死もひとつの選択であり、ひとつの人生の締めくくり方であると言われれば、確かにそうなわけで。ただし、では、そうなったときに、後見人の問題はどうなっているのかとか、同時に考えなければならない問題が浮上しますが、日本はとても遅れているということも改めて知りました。ぼくたちは「死」という闇からも目を背け続けています。

光と闇で言えば、闇の中にも光はあるという話をしてくれた方もいました。ぼくたちが目を背け蓋をしてきているものの中に、老い、障害があります。震災直後、被災地のある高齢者施設でこんなことがあったそうです。2階には、集団の中にいるとパニックになると考えられていた認知症高齢者が個室で生活していた。1階部分が浸水し、地域住民含め1階入居者がみんな2階に避難した。認知症高齢者がパニックを起こすことを職員が恐れていたら、実際に起こったのはその逆だった。子どもが見つからないと泣く若い女性の頭をなで、「よしよし、大丈夫」とお母さん役をした認知症高齢者。寒さに震える中、暖をとるために火をおこし続けた認知症高齢者。そのふたりの姿を見て、職員は驚いたそうです。

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くるまざの後の懇親会の居酒屋で生ビールを持ってきてくれたのは、ヴェトナムのホーチミンからやってきた目のくりっとした若い女性でした。今、日本で就労している外国人はおよそ100万人います。その多くが、こうした飲食店や、一次産業、介護現場で働いています。なぜか。待遇が悪くて日本の若い人たちがやりたがらないからです。食べものをつくる、親の面倒をみる。誰かがやらなければならない仕事ですが、日本人がやらないと外国人がやるしかありません。その外国人は果たして十分な社会的評価と待遇を受けているでしょうか。むしろ疎外されていないか。他国と比べると甚だ心もとない現状です。ここにも、ぼくたちが目を背けている現実があります。

いろいろと考えさせられた夜でしたが、外に出ると、そうした闇を覆い隠すように、真夜中の都心は眩い光を放っていました。

東北食べる通信編集長 高橋博之


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