リアリティの崩壊

リアリティの崩壊

都市で生きる一人ひとりの人間を、そしてこの消費社会を、静かに深く蝕んでいるバケモノの正体とは何か。そのバケモノを退治する方法はあるのか。昨夜は、築地市場にほど近い明石町区民館で、66回目となる「くるまざ座談会」をやりました。栄養士、銀行員、元呉服屋会長秘書、コンサルタント、投資家、IT企業社員、食の宅配サービス会社社員、町長選挙立候補予定者など、20代〜30代の若者が仕事帰りに集まってくれました。

今の仕事を始めてから、若い都市住民と話す機会が多くなりましたが、名刺の肩書きだけを見れば、いわゆる社会的に名の知れた大企業、給料だって十分にもらっているだろうと思われる人の中にも、その本業に大きな不満を感じ、「食べるために仕方なくやっている」的な話をする人が実に多いことに気付かされます。不満の理由を聞けば、いくつかあります。

仕事が細分化され、自分は駒のひとつでしかなく、自分である必要性を感じないという「存在意義喪失型」。パソコンの前でひたすら数字だけを追い、実態に触れる機会がないので何のために働いているのかわからなくなるという「やりがい喪失型」。よく考えれば、自分たちのやっている仕事は必ずしも人を幸せにせず、むしろ自然や他者を搾取した上に成り立っていることに気づくというタイプ、これは何を喪失していると言っていいんでしょうか。

どれも、食べていくことで精一杯の途上国ではほとんどありえないことで、豊かな社会を実現したがゆえの成人病みたいな病です。でも、多くの人はそれでも「食べていくためには仕方がない」という圧倒的な現実を前に、この病を放置しています。あるいは見なかったことにしようとやり過ごしています。資本主義社会は、走り続けることをやめたら、途端に倒れてしまう仕組みなので、走ることをやめるわけにいきません。そうして、自分を、家族を、社員を、国民を守るためという大義名分が、この病の放置、そして病の悪化に正面から向き合うことを難しくしているように感じます。さりとて、今、走り続けているこの道の延長線上に輝ける未来があるかと問われれば、確信が持てず、首を傾げてしまう。そんな光景がとめどなく日本社会に広がっています。

どれだけ働けども、どれだけ収入が増えようとも、生きる喜びや生きる実感、生きる意味といった「生」への手応えを感じられない。このリアリティの喪失こそが、成熟した社会に現れたバケモノの正体なんだと、ぼくは思うようになりました。数値化が難しいだけに、このバケモノは目に見えません。振り返れば、ぼく自身、かつて18歳で田舎から上京してから、この自分の中で肥大化していく目に見えないバケモノに蝕まれ、苦悩していたような気がします。そして、途上国をひとり旅し、ふるさとに戻り、政治家として社会づくりのどまんなかに立ち、命と直結する食の世界へ足を踏み込む、というこれまでの歩みは、まさにリアリティを追い求めてきた道程であったのかもしれません。

消費社会の本質は、情報化です。人間が生きていく上で必要不可欠のものを満たそうとするのが「欲求」ですが、これには限りがあります。この有限なマーケットを無限に拡大するために、人との差異に優劣を感じさせる情報(デザインと広告)を付与し、人々の「欲望」を解き放ったのが、今の消費社会の実像です。1920年代に車の世界で起きたフォードからGMへの覇権移動に象徴される消費社会の本質的変容が、あらゆる分野で起こり、19世紀後半からほぼ10年おきに発生してきた需要不足に伴う壊滅的な恐慌を回避してきました。

情報化の極め付けは虚構化です。リアルな世界に余白がなくなれば、拡大を続けるためにバーチャルな世界、フィクションの世界に新たな余白を無理やりつくる他なくなります。サブプライムローン問題では、金融商品の上に金融商品を重ね、考えた本人ももはや全容を把握できないくらい実態から遠ざかり、最後はアメリカの貧困層の食というリアルの一点から崩壊しました。

日本のバブル経済も虚構だったわけで、この消費文明社会の先頭集団を走ってきた日本人は、「失われた20年」を通じ、いよいよリアリティの崩壊という目に見えないバケモノと向き合わざるをえないところにきているような気がしてなりません。このバケモノが牙を剥き、表面化した事例として、オウム真理教、神戸連続児童殺傷事件、秋葉原無差別殺人事件などがあげられます。極端な事例をあえてあげましたが、どれも、リアリティの崩壊を再生しようというエネルギーを間違った形で外に向けたことによって引き起こされてます。

このエネルギーを間違った形で内に向けると、例えば女子高生たちのリストカットになったりします。外に向けるか、内に向けるかの違いはあっても、生きる実感がわかない、生きる意味を見出せない、自分という存在が消えていく、という背景が通底しています。根っこは同じような気がします。一方で、このエネルギーを正しい方向に向け、バケモノを退治しようとしている人たちも少なくありません。阪神大震災や東日本大震災でボランティアに訪れた人たち、途上国や国内の農山漁村に向かう人たち、特に若者がそうです。

中には、ある日突然会社を辞めて、被災地に移住し、起業する、あるいはNGOやNPOに転職するという人もいます。が、ここまで思い切ったことができる人は、ごく一握りです。圧倒的大多数の人々は、本業を持ちながら、余暇の時間にこうした活動に身を投じています。最近は、震災などの緊急時だけでなく、平時にこうした動きをする人々が増えています。夜間や休日、長期休暇に、いわゆる二枚の名刺を持って、現場に飛び込む人々です。

彼らは「食べるために仕方がない」という現実に向き合いながらも、リアリティの崩壊というバケモノに自分が侵蝕されないように、もうひとつの顔を持ち、もうひとつの世界を平行して生き、バランスをとっているように見えます。向かっている先の多くは、小規模で、手触り感があり、やりがいを感じられ、存在意義を見出せる場所で、社会的矛盾がむき出しになっているリアルな現場です。

今ある経済社会を否定するのは、自分で食べていく自信と勇気が必要な他、家族などを露頭に迷わせるリスク、そしてなにより、それまでの自分が懸命に歩んできた道をある意味で自己否定・自己反省しなければならないというとても困難な作業を伴います。そうでなく、今ある経済社会の矛盾に気づきながらも、システムとしての現実世界に所属しながら、その恩恵にも預かり、一方で、もうひとつの生きる実感を持てる理想世界をつくる側にもまわっていく。

消費社会の歩みは、私たちが自分たちの暮らしを自らの手でつくる側から離れ、当事者という主役の座を立ち、グランドから観客席にあがっていった歴史でもあったと言えます。政治、まちづくり、一次産業、介護、医療、教育、メディア、あらゆる分野で他人事化が進行してきました。その結果、我慢できない消費者が生産する側の限界を超えた利己的な要求をつきつけ、社会を貪り尽くそうとしています。さらに、リアリティも失い、自分自身の生きる実感まで貪り尽くそうとしています。詰まるところ、リアリティを取り戻すとは、当事者になる、グランドに降りるということに他ならないのだと思います。

圧倒的大多数の人々が、二枚目の名刺を持ち、給料の1パーセントを、一週間の1時間を、もうひとつの世界をつくることに注いでいったら、社会は大きく変わっていくのではないでしょうか。ぼくは、これが最も現実的な変革の道だと思います。日本にはアサドも徳川慶喜もいませんから、論理的に革命は起こしようがありません。今、目の前にある現実世界を、自分が望むもうひとつの理想世界で少しずつ上書き保存していく(そうなれば、本業も変わっていくことになるはず)。営利と非営利の境界線は瓦解し、新しい世界の地平が開けるとぼくは思うし、そんな世界をつくる側のひとりとして、いつか実現されているところを仲間たちと一緒に見てみたい。そして、次世代にその世界を受け渡し、課題先進国家・日本の後を追う国々に模範を示したい。

消費社会の進化が生み出すリアリティの崩壊というバケモノは、私たち自身を蝕むにとどまらずに、自然と他者を間接的に収奪する構造から逃れられないので、未来世代と途上国を実際に蝕み続けてきました。情報化で駆動する消費社会は大量生産と大量消費が表舞台ですが、入り口には大量採取、出口には大量廃棄があり、資源と環境の限界がつきまといます。それを外部世界に押し出し、間接化して、私たちは加害者意識を感じることができなくなっていますが、明らかに自然と他者を犠牲にし、人類の存続という問題解決からどんどん遠ざかっています。

生物の進化は、自らの生存を脅かす環境変化に適応する形でなされてきました。その意味では、消費文明社会の先頭集団を走ってきた私たちは、人類の進化の最前線にいると言えます。さらに変化していくであろう都市のバーチャルな世界を生きる力を養いながら、その力が自らに刃を向かないよう、その力を使いこなす知性と野生を鍛え直していく。バーチャルとリアルの共生は、頭と体、都市と地方、人口と自然、意識と無意識、西洋と東洋のバランスをはかる道でもあり、この文明の転換には数世代かかるかもしれませんが、その道をつなぐ生き方を、働き方を、社会のあり方を、経済のあり方を、引き続き、みんなでくるまざになって模索していきたいです。目の前の現実という「ミクロ」と、文明の転換という「マクロ」をジェットコースターのように行ったり来たりしながら、思考し、行動し続けようと思います。

東北食べる通信編集長 高橋博之


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