脱サラ、Uターンした私が「食べる通信」を創刊した本当の理由−−『ふくおか食べる通信』編集長・梶原圭三

都会の人々を癒す農のあり方を模索するなか、日本食べる通信リーグ代表・高橋博之との出会いを機に故郷にUターン。『ふくおか食べる通信』創刊へと突き進んできた梶原圭三さん(51)。創刊を目前にして九州北部豪雨に直撃される困難がありながら、仲間に、読者に伝えようとしてきたこととは。

■農業というフィールドで都会の人たちを癒す

——長く大企業に勤めてこられた梶原さんが、そもそもどんな経緯で農に目を向けていったのでしょうか。

私は前職が3社目で、そのときから東京で働き出したのですが、緑の少ない東京で、土日には郊外に行ったりしてバランスをとっていました。そんななか、練馬区の農家さんが開いている貸し農園で、畑を始めました。1人あたりの区画が10平米ほどで、何人かでシェアするんですが、そこでの時間がとても楽しかった。こういうことを求めている人はたくさんいるんじゃないか、と思ったのをきっかけに、農業というフィールドで何かできたらおもしろいだろうと思いついたのが最初でした。

その後、NPO法人が提供する農村活動体験プログラムなどを3年ほど受講して、農業について体験し、深く学びました。このときに後継者不足問題なども目の当たりにしましたが、一方で農業の可能性も実感しました。都市の住民が本能的に、農や自然と触れ合うことに癒しを求めていて、人と人のつながりを求めている。やり方次第で農業の後継者不足という課題と、都市住民のニーズを満たすことができるのではないかと考えたんです。この経験から、農や食を通じて都市と地方をつなげることを生涯のライフワークにしたいと思うようになりました。40歳すぎのころでした。

実際に千葉県君津市の知り合いの農家さんと協力して、イベントを開いたんです。耕作放棄地を開墾して大豆を植え、味噌までつくろうという企画で、「耕作放棄地開墾ツアー」と銘打ってSNSなどで発信しました。これに人が集まった。開墾ツアーなんて言っていますけれど、やるのは草刈り(笑)。それでも集まるんです。当然、素人仕事なのでオペレーションなんてぐちゃぐちゃでしたが、終わったあと、参加された方が「次はいつやるんですか?」と。一方で、君津の生産者さんやご近所の方も結構喜んでくださっていました。それを見ていて、この農業というフィールドで都会の人たちと農家さんをつなげるおもしろさに目覚めたのです。

——イベントは、その後も継続されたのですか。

はい。2ヵ月に一度くらい君津に通って、竹を切って、大豆を植えて、その大豆を途中で枝豆にして、大豆を収穫したら味噌にして……というのを1年半ほどかけてやっていました。その後も仕事をしつつ、定期的にそういう催しをすることで農との関わりは持っていましたが、どこかで「これに両足を突っ込めるようになりたい」と思っていました。でも、イベントって単発ものですから難しくて。なかなか良いアイデアが浮かびませんでした。

そんなときに、高橋博之さん(日本食べる通信リーグ代表/『東北食べる通信』編集長)の著書『都市と地方をかき混ぜる』(2016年8月刊)に出会いました。タイトルからして、おもしろそうだと。

■『都市と地方をかき混ぜる』が自分の心を代弁していた

——確かにその書名は、梶原さんが当時積み上げていたものとリンクしそうです。

僕の頭のいろんなところにあるものを、博之さんがきれーいにまとめてくれていた。「自分の心を代弁してくれている」くらいの共感が、僕にはありました。それで今度は博之さん自身のことを調べてみたら、TED×Tohokuに登壇されたときの15分くらいの動画に出会った。それを見て、僕はなぜか「この人に会わないといけない」と思って、山梨で開かれる車座座談会に申し込んだんです。そこで初めて会って、上から目線ですけれど「この人、本物だ」と。

——なかなかアイデアが浮かばず悶々とされていた梶原さんに、これだと思わせたものは何だったのですか。

まず、「食べもの付き情報誌」としての「食べる通信」という、その発想です。一定の定期購読者を獲得できれば、なんとかやっていける……というビジネスの観点もそうですが、それより、僕のなかでは「やりたい」と思っていたことが「やれる!」という思いが大きくなってしまって。しかも福岡は、(当時「食べる通信」が創刊されておらず)空いている。なんで? と。ここで僕がやると言わなかったら、絶対に他の人が手を挙げると思ったから、ほぼそのとき勝手に「やる」と決めて(笑)。

——いずれ故郷の福岡に帰ろうという構想は、もともとあったのですか。

ありました。家族を福岡に住まわせていて、自分は単身赴任していたぐらいですから。

——それを、その場で決めてしまったと(笑)。その時点で、生産地としての福岡のポテンシャルについては、どの程度認識されていたのでしょうか。

福岡ってどちらかというと都会のイメージじゃないですか。正直なところ、ネタはあるんだろうか、とも思いましたが、だからといって、福岡以外でやるのでは自分の思いとは違うと思った。

そこから調べていくうちに、多くの人が持っている福岡の都会的なイメージは、ほぼ、福岡市のイメージだということに改めて気づいていったんです。県全体で見れば、人口約500万人のうち一次産業の従事者が5万人ほどいる。農業生産額も47都道府県中、真ん中より上位だとわかった。加えて、福岡には僕の地元の筑後地域のほか、福岡、北九州、筑豊という4つの地域があるんですが、まるで別の国みたいにお互いをあまり知らないということにも気づきました。だから、自分のなかでは「福岡で宝探し」という感じでしたね。

■創刊直前の読者ターゲット変更

——山梨での車座から、創刊審査のプレゼンまで約半年。一気の準備でしたね。

まず、かみさんを口説くのに苦労しました。会社を辞めるわけだから、当然「生活はどうするの?次男の大学受験は?」と。僕は、ちゃんと事業計画をつくるからといって説得しようとしたのですが、そういうロジカルな話に逆にいらっときたらしく、結婚20年の不平不満を語り始めて。これは反論できないなあと思って、「大変だったなあ。すまんすまん」なんて言いながら聞いていましたね。生活への不安というより、僕だけが好き放題していることへの憤りだということもわかって。今では理解して応援してくれていますけれどね。

かみさんは結構、ドライな目線で意見をくれたりもしたんです。「私が買う側だったら買わない。(1号の購読料が)3500円なら、その3500円分のおいしい柿を買う」と。女性の感覚ってそういうものだと。実際、事業計画書の段階で、僕は「食や暮らし方への感度が高い女性」を読者ターゲットにしていました。でも創刊直前、そこを変えたんです。「理念に共感してくれる人たち」に変えた。そうしたら、一挙に男性読者が増えていきました。

——購読を呼びかける層、訴えかける層を変えていったのですか?

僕が発信するメディアはFacebookだけでしたので、層を変えるというより、訴え方を変えたんです。「食べる通信」って楽しいよ、おしゃれだよという伝え方をしていたのをがらっと変えて、「博之流」に。

——つまり、消費者自身の生き方を問うような。

そうそう。結果的に、変えてよかった。「これでだめなら、多分だめなんだろう」くらいの開き直り方ができて、僕自身が楽になりましたから。現在の読者さんは6割が男性で、地域は首都圏が一番多くて4割くらい。その次が名古屋圏。そのまま僕の友だちの分布です(笑)。

——本当に梶原さんの思いに応えた方たちが、読者になられたわけですね。結果として、当初の想定とは異なる層の方たちに向けて冊子を届けてこられたわけですが、読み手の方々の中に変化を感じることはありますか。

感じます。僕は「『ふくおか食べる通信』は、食べもの通信ではない」という話をよくしていて、それを「ふくおかのつくる人の物語」というサブタイトルにして表紙の下の方に小さく書いているのですが、そこに気づき始めた読者の方がいるんです。記事を読んで、そのタイトルの理由がわかってきたと。「カジさんが伝えたいのは、人なんだね。思いなんだね」と。僕からすると、最初からそう言ってるやん、って話なんだけれど(笑)。

——確かに、『ふくおか食べる通信』では人が丹念に描かれ、言葉が丁寧に拾われている印象があります。それが、読む方に届いているのですね。

うれしいことです。500人の読者の方のうち、そう言ってきてくれたのはまだ数人なんですけれどね。100万人くらいのパワーをいただきました。

■「しょぼいけれど、とにかく助けてくれ」

——ところで梶原さんは、かつてグロービス経営大学院で学ばれて、今も受講生たちと強いつながりを持っていらっしゃるそうですね。

グロービスでは、単にMBA(経営学修士)を取得するだけではなく、「そのMBAで、どう世の中の役に立つのか」を考え続けることが求められます。ここで得られるのは、ビジネスを遂行できる能力と、人的ネットワーク、志。僕は卒業して8年経ちますが、「人的ネットワーク」にすごく価値を感じたんです。だから、自分はギブ・アンド・ギブ・アンド・ギブで、テイクを求めずにいこうと思いました。グロービスから「現役生の相談に乗ってもらえないか」と請われれば、もちろん引き受ける。とにかくギブ、ギブでいこうと。

——メンターとしての役割も、無償で引き受けているとか。

そうです。それによって、毎期20人くらいの新しい受講生の方とつながることができるわけですから。これね、かっこいいことを言いましたけれど、要はさびしがり屋なんです(笑)。専門的な知識を持っているわけでもなく、スペシャルな人間でもない僕が、たくさん友だちをつくろうと思ったらギブしかないなと。自分のできること、持っているものをギブして、仲よくなって、酒を飲めたら楽しい。名古屋に行っても札幌に行っても飲み友だちがいるって、素敵じゃないですか。そういうつながりをつくりたかった。

——そうやって関係を築いたお仲間に向けて、先ほどおっしゃったような訴えかけをしたということですよね。購読者になった方も多かったのですか。

多いですね。今の500人の購読者のうち、半分はいらっしゃると思います。創刊号の申し込み締切は2017年11月8日だったんですが、10月末の時点でまだ申し込みは100人ほどだったんです。それが、期限を1週間のばして訴えて、最終的に400人を超えました。当時の僕のメッセージがFacebookに残っていますが、「うおーーー300人突破しました!」「残り48時間です!!」って、もう選挙の最終日みたいに(笑)。

——助けてほしいと、率直にお願いされたわけですね。

そうです。実際、助けてもらいたかった。グロービスで学んでいれば、これがどういうビジネスモデルなのかということはわかりますから、「(購読者数がのびないのは)それを想定できなかった自分のミスじゃないか」と、冷静に思う人は思うんです。それはわかっているけれど、マーケティングのターゲットを間違ったこともわかっているけれど、しょぼいけれど、とにかく助けてほしいと。その僕の投稿を、150人くらいの人が熱いコメントをつけてシェアしてくれて。それを受け取った百何十人という知らない方たちが、「この人がこれだけ言っているんだから」と申し込んでくださったんです。

——仲間のそういう熱い思いに触れたことで、その後の運営の方向性などに影響はありませんでしたか。

ありましたよ。自分をさらけ出していかないとだめだ、もう格好つけるのはやめよう、と思いました。それは生産者さんに対しても、読者さんに対しても、チームのスタッフに対しても。ただ、僕は結構こうして素を出して泥臭くやってきたつもりなんですが、最近、読者の方から「ちゃんとしすぎている」と言われたんです。僕にとっては驚きでしたが、「あまりにうまく行き過ぎている感があって、応援する気力が薄れてきている」と。

——なかなかできない指摘ですよね。

それを言ってくれたのも、グロービスの先輩でした。みんな助けたい思いで購読しているんだ、助けさせないとだめだと。人は確かに、助ける行為によって関われるというところもありますからね。

■まるで会ってきたかのように、読者が語り始める

——創刊を経て、梶原さんご自身のなかで変化したところはありますか。

かみさんがプランター栽培を始めました。って僕の変化じゃないですね(笑)。あとは、マルシェがめちゃくちゃ楽しいという気づきがありました。実は、あまり重きを置いていなかったんです。販売って難しいし、利益率がいいわけでもない、その場で簡単に購読の申し込みをしてもらえるでもない。そう思いながら、5月に大阪で開催した「食べる通信EXPO」に一度出店してみたら、とにかく来てくれる人との会話が楽しすぎて。試食していただいて、「ね? おいしいでしょう? なぜこんなにおいしいかというと……」と、売ることそっちのけで農家さんについてしゃべっていたら、共感が生まれて、結果的に買ってもらえて。マルシェは売る場所ではなく、人と出会う場、会話する場なんだとわかりました。

そのマルシェには、京都の読者の方が手伝いに来てくれたんですよ。その方は創刊号から取ってくださっているから、生産者さんのストーリーは全部知っています。全部書いてきていますから。

——ということは、しゃべれてしまう?

そうそう、まるで会ってきたかのようにしゃべるんです! 僕はもう、鳥肌立っちゃって……。その日はその方の誕生日だったので、「誕生日なのにすみません」とお詫びを言ったら「むしろ素敵なプレゼントです」と。誕生日にこんな有意義な時間を送れるとは思わなかったと。涙出てきそうになりました。

そこで先ほどの質問に戻ると、僕は、イベントや何かはすべて自分が仕掛けなければいけない、と考えていました。でもそうではなく、読者の方々に自発的にやってもらえるように、軽くプッシュをするというか。そのほうが、コミット具合がまったく違ってくるということに気づき始めています。

——受け身の購読ではなく、自分ごとにしていくと。

そうです。今はまだ受け身で、「カジさんから定期的に届く。ありがとう!」という雰囲気なんですけれどね。ただ、次のステップはもっと先かなあと思っていましたが、意外と近くなってきている感触はあります。

——では近い将来、どんなことを手がけていきたいですか。

生産者さんと読者の方たちがリアルに会える機会を、もっと増やしていきたい。リアルのイベントは、本当に楽しいですから。先日初めて、特集した生産者さんの果樹園を訪ねるイベントを開いたのですが、単に畑を回って、話をして、試食して、ランチを食べただけなのに、めちゃくちゃ深まりますものね。そこに来た読者さんは、多分、やめないだろうと思うんですよ。仮に「食べる通信」を卒業することはあっても、生産者さんとの関係はずっと続くのだろうなと。だから、読者500人みんなと何かやっていきたいですね。それが、僕の知らないところで読者同士で集うような流れになっていくと、より理想に近いコミュニティに育っていくのかなと思います。

■災害は日本中のどこで起こってもおかしくない

——梶原さんは、昨年7月の九州北部豪雨を経験されています。先日は大阪で地震がありましたし、2年前には熊本地震もありました。災害は私たちにとって目前の問題ですが、そのことをどう考えていますか。

あのときは、創刊号で朝倉市の農家さんを特集すると決めたあとに、その朝倉がひどい豪雨災害に遭って。僕のなかでは、使命感がより増しました。もともとは生産者さんのことを知ってほしい思いだけでやっていましたけれど、そこに地元の朝倉を復興させたいという思いが加わったのと同時に、「たまたま朝倉で起こったけれど、日本中のどこで起こってもおかしくないんだ」というメッセージも伝えたかった。

もう一つは、結局、僕ら都会の消費者は田舎に食べさせてもらっているんだということが、あのとき改めてわかったんですね。これは本当に感じないとだめなことだし、田舎がこんな状態になってしまったとき、自分に何ができるんだろうかと考えさせられました。そういう思いを含めて、創刊号は、豪雨災害で被災した秋吉さんを紹介させてもらいました。

今年の7月号では、あの災害から1年を経た朝倉で、被災した味噌蔵と、そのエリアの方々が共同でつくってきた蕎麦を特集しています。被災して耕地面積は1/3になりましたが、なんとか新蕎麦をつくれるようになったというので。

あの災害のあと、中山間地では本当に応急処置をされただけで、大雨が降ればまた土砂崩れが起きるリスクはあると思います。復興の全体像も確立していない部分があって、高齢の生産者さんのなかでは離農する人も増えてきている。私が取材しているような若手の農家さんが、その分をやってくれと言われるわけですが、もう手一杯なんですね。

こういう問題は、ローカルのテレビ局でもほとんど伝えなくなってきていて、どちらかというと「みなさんがんばっています。うまく進んでいます」と。でも現場はまだまだ。それを、少なくとも「食べる通信」の読者さんには伝えたいと思うんです。先日の大阪の地震も、都会でもいつこういうことが起こってもおかしくないんだという、備えへの契機になってほしいと思っています。

——仮に大都市が大規模災害に直撃されて流通が寸断されたら、それこそ、食べものとのつながりは……

なくなりますよね。だからこそ、地方と、田舎とつながっておくことが大事なのではないか。そういう提起もできるかもしれません。

■一億皆農のため、接続者の役割を果たす

——梶原さんは、創刊審査のプレゼンの際、将来目指す社会のあり方として「一億皆農」を掲げていらっしゃいました。それはどんな思いからですか。そして、そこを目指す上で「食べる通信」はどのような存在となり得ると思いますか。

なぜ一億皆農なのか。まず、自分が食べているものがどうできているのかということを、皆が知っておかなければならないと思うからです。もう一つは、農の現場って実は楽しいから。農「業」にすると確かに難しいですが、あの現場で子どもが泥まみれになって、あんな笑顔になるのはなぜなのか。そういう場を経験しないのはもったいないという考えが、根底にあります。博之さんがおっしゃっていたのは、小さいときにそういう経験をしていれば、将来就職や進路を考えるとき、一次産業も選択肢に入ってくるんだと。僕もそう思います。

そのためにどうするか。僕は授業に組み込むのがいいと思っています。国語算数理科社会体育農業、みたいに。アメリカにはエディブルスクールヤード(学校菜園)という事例がありますし、日本にもそういうものを取り入れている学校や幼稚園があります。だから、それほど途方もない目標ではないだろうと。

そのなかで「食べる通信」がどういう役割を果たせるかというと、接続者。ビジネスの言葉でいうと、バウンダリー・スパナー。境界連結者と呼ばれる役割ですね。たとえば教育と農業をつなぐということも可能だろうし、企業と生産者さん、生産者さんと読者……いろんなプレイヤーの方々をつなげる。それが、一億皆農に向けての僕たちの役割だろうと思います。

先日、ある読者さんが、「食べる通信」を購読していることは農家さんを訪ねるパスポートを持っているようなものだ、と教えてくれました。僕も、そういう風になっていけばいいと思っています。

(文/保田さえ子、写真/桐島大河、林新吾)

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■プロフィール

梶原圭三(かじわら・けいぞう)●1967年、福岡県朝倉郡杷木町(現・朝倉市)生まれ。同県筑紫野市在住。東京で情報通信機器メーカーに在職し、プライベートで農を楽しむ生活をするなかで「食べる通信」に出会い、脱サラ。2017年11月、故郷福岡で『ふくおか食べる通信』を創刊。


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連絡先:fukuoka@taberu.me

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