大好きな地元・熊本の
「食の風景」を100年後に残したい
−−『くまもと食べる通信』代表・林信吾


林信吾さんは東京の大手コンサルティング会社を脱藩し、半年前に熊本にUターン。『くまもと食べる通信』の実務の指南役で、株式会社Eの代表取締役を務めるアントレプレナーだ。4月初旬、このインタビューのために林さんと熊本の南阿蘇村を訪れた(写真はそのときのもの)。数日後にまさかの熊本地震。あの日に見た阿蘇の風景を私たちは100年後に伝えられるだろうか。あらためて林さんに『くまもと食べる通信』のこれまで、そしてこれからを伺った。

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■脱藩して熊本にUターン、起業家の道に

――林さんは東京でどんな仕事をされていたのですか?

僕は東京で中小企業の経営コンサルティングの仕事をしていました。毎日、始発の新幹線や飛行機に乗って地方を飛び回り、最終便で東京に戻って夜中まで仕事をする生活を6年続けていました。そのなかで、昨年1月に僕の双子の兄が急逝。熊本にいる母のことも気がかりで、兄貴の分まで自分が頑張らなければと思いました。僕はとにかく熊本が好きで、熊本に戻りたいという気持ちが強かった。昨年は会社に交渉して東京と熊本の2拠点で仕事をこなし、12月末に退職して熊本に戻ってきました。

――『くまもと食べる通信』を創刊したきっかけは?

2011年に高橋博之さんが岩手県知事選に出馬された時、友人の橋本力也が応援していたご縁がありました。その後、博之さんは『東北食べる通信』を創刊。熊本も立ち上げたら?という話が出ました。『東北食べる通信』は紙面のクオリティも高いし、面白いと思ったけれど、僕はサラリーマンで本業があるから、力を注げる状況ではなかったんです。

2015年2月、数人の仲間と徳島県の上勝町に行った時、あるお店に「食べる通信」が置いてありました。一緒にいた仲間たちも興味を示して「食べる通信」を仕事としてやってみようかと。それがきっかけで昨年11月に創刊しました。資金調達や事業計画など立ち上げの実務は僕が担当しました。

12366255_1527012947616910_8513961289657294455_n『くまもと食べる通信』のテーマは、「100年後に伝えたい食の風景」です。創刊号の阿蘇のあか牛は象徴的な食材。熊本は九州で一番の観光地で、観光客の7割は阿蘇を訪れます。そのうち9割は、阿蘇の草原の風景を見に来るそうです。阿蘇の草原は野焼きをして、人の手が入ることで守られています。天草崎津の教会も、芦北のうたせ船も「食」を通して残ってきた風景です。僕たちは等身大の言葉でそれをきちんと伝えていきたいです。

――創刊にあたって苦労したことは?

経験のない若いメンバーなので、想いはあるけど実務が大変。そして、読者へのサプライズの仕込みに凝って大変の2つでした。「食べる通信」の運営サイトのシステムにも戸惑いました。創刊号の「あか牛」特集では、食材を入れる箱の緩衝材に牧草を使いました。阿蘇の草原の風景を守るには、皆が草原を活用するアイデアを持ち寄らなければ残すことができない、という想いを込めたんです。最初のインパクトが大事ですから、アイデアは全部つぎ込もうよと。手書きのメッセージを書いたり、食材と一緒にサプライズを届けたくて準備に時間がかかりました。

創刊前に挑んだクラウドファンディングは、ファンづくりや定期購読のきっかけになればという位置づけです。結果的に約120万円集まりました。

――発行元の株式会社Eという名前の由来は?

「E」にはいいものを作っていきたい、エクセレント、秀逸などいくつかの意味があります。実は別の社名を考えていたのですが、登記を出す間際になって、共同代表の池田親生が僕の兄の名前(秀明)の「秀」を社名に入れて一緒に頑張っていこうと提案してくれました。

――熊本にUターンして仕事や環境の変化はどうですか?

前職の経験があるので、経営戦略の策定や営業アプローチ、広報など、ビジネスの実務は一通りできます。かつてお客さんに助言してきたことを、『くまもと食べる通信』という食の分野で実行しています。実際に自分でやってみると新たな気づきもありますね。

熊本にいると、身近に癒される場所があるのがいい。LCC(ローコストキャリア)を使えば東京にも安く行けるので、距離やハンデはあまり感じません。僕はどこにいても仕事ができると思っています。熊本にも、東京にも、それぞれいいところはありますが、僕にとって熊本で仕事をする意味は大きいです。

――編集チームはどんな体制ですか?

取材や執筆、発送、顧客対応などの業務は、4月号から僕が1人でこなしています。制作は外部のデザイナーやカメラマンにも協力して頂いています。池田親生は表紙デザインなどの監修、編集長の森賢太には別の視点から意見をもらうなど、仲間に助けられています。春先に編集スタッフがやめたり、新たな事業として準備を進めていた飲食店とゲストハウスが火災に遭うなど、いろいろな出来事もありました。損益分岐点を超えるまでは苦しい戦いですが、今は踏ん張りどころ。軌道に乗れば「食べる通信」はビジネスモデルとしてすごくやりがいのある仕事だと思います。

 ■突然の熊本地震、『くまもと食べる通信』にできたこと、できなかったこと

――熊本地震の直後、林さんはどうされていましたか?

IMG_3806地震が起きた時、僕は車の運転中で、大型トラックに衝突されたかと思いました。本震で会社の事務所は被災しましたが、生産者さんや仲間はみんな無事でした。本震翌日に「くまたべ」の仲間と「熊本支援チーム」を結成。熊本は物流が止まっていたので、福岡県の筑後市に物資を集めて自分たちで熊本に輸送し、行政が把握しきれない小さな避難所などに届けました。

熊本に戻ってきてまもない時期に地震が起きたので、自分のなかにも使命感が沸きました。組織をマネジメントすることや、物事を俯瞰して最適化することが僕の得意分野で、たまたま今回の地震でそれが自分の役割として与えられたんです。真夜中まで電話が鳴りやまなくて、次々といろいろな依頼や相談が来ました。あれもやりたい、これも必要、できれば自分がやらなければと思うけど手が回らない。震災ハイというか、ヒーロー症候群になりました。自分のなかで優先順位をつけてバランスを取ることが本当に難しかったです。

震災前からいろいろな案件の話が来ていたのですが、僕は『くまもと食べる通信』をきちんと発行することを最優先にしたいので、他にやりたいことがあってもセーブしていました。でも、地震でその優先順位がガラリと崩れてしまった。あらゆる物事が一気に押し寄せてきて、コントロールがきかなくて大変でした。

――株式会社Eの事務所も仮設のプレハブに移転。『くまもと食べる通信』の5月~6月号もやむを得ず休刊となって大変でしたね。

4月号の発送もこれからです。震災以降、『くまもと食べる通信』のフェイスブックページや公式サイトも更新できなくて、顧客対応にも手が回りきれませんでした。それでも読者のみなさんは待っていてくださることが本当にありがたいです。あらためて「食べる通信」はすごい仕組みのサービスだと感じました。でも、そこに甘えてはいけない。待っていてくださるのは僕たちへの期待よりも、生産者さんに対する期待です。僕がそのつながりを途切れさせないようにしなければと思います。

――震災から見えてきた課題はいろいろあると思いますが、農家さんの状況はどうだったのでしょうか?

震災後の農業支援について、熊本で最初に発信したのは『くまもと食べる通信』でした。「農家さんに困っている方がいたら紹介してください、つないでください」とSNSで呼びかけました。でも、困っている農家さんほど声を上げられない。農業支援や生産者支援をするためには、実際に現場に行かなければ状況がわからないんです。震災直後はアスパラガスやイチゴの最盛期で出荷できなくて困っている農家さんがたくさんいました。僕は農家さんが一番大事な時期に現場に行けなくて、声を拾うことができなかったことを悔やんでいます。

熊本の食材を食べて支援や応援をするイベントがありますが、実際にそういうところに出店できるのは、あまり被害を受けていなかったり、もともと震災前からSNSで発信をしていた人が多いのが現実です。もちろんそれはいいのですが、本当の意味で声を上げられなくて困っている農家さんの支援に必ずしもつながっているとは限らない、という現状もあります。

■この5年が勝負、未来に伝えたい熊本の「食」の風景

――震災の前後で『くまもと食べる通信』の編集方針に変化はありますか?

根本的な考え方は変わらないとあらためて気づきました。熊本の風景はやっぱり「食」です。食が作ってきた風景が一番の観光資源であり、僕たちの誇りです。100年後やその先まで伝えたいし、残していきたい。『くまもと食べる通信』はそこにフォーカスしていきます。

13584790_1355789561105066_929903070707386930_o本市内から阿蘇に向かう主要道路は地震によって寸断され、再び開通するまで5年かかるといわれています。そのなかで被災された農家さんが潰れたら、離農してしまったら、100年後に伝えたい風景が5年先まで残らないかもしれません。この5年が勝負です。そのためには『くまもと食べる通信』で取り組んでいることが実は一番近道で、やらなければならないことだと考えます。『くまもと食べる通信』では被災しても頑張る農家さんや、熊本の素敵な風景、素晴らしい食べものをできるだけポジティブに伝えていきたいです

――5年前に東北、そして今回は熊本で大震災が起きて、いつどこで災害が起きても不思議ではない時代に私たちは生きています。全国の「食べる通信」の仲間に伝えたいことは?

僕は熊本が特別だとは思っていません。地震はどこで起きても不思議じゃないし、台風や竜巻や土砂災害もある。そのたびに支援してほしいといえば、みんな支援に疲弊してしまいます。被災して困っているから、応援してほしい、買ってほしいというネガティブな売り方に甘んじて、自らの魅力を磨くことをやめるのは危険だと思います。大切なのは自立すること。自分たちがつくるものやこだわりをしっかりと発信し、選ばれるものにならなければ淘汰されてしまいます。プラスの部分をどれだけ見せられるかが大事です。

■「食べる通信」は一流の名刺、熊本に眠る原石を輝かせたい

――今後のビジョンについてはどうですか?

僕は『くまもと食べる通信』をビジネスにしたいという想いがあります。熊本はいいところなのに、仕事がないからやる気や志がある若い人が外に出ざるを得ないのは悔しいです。外に出た人もいつかは熊本に戻れるように雇用をつくっていきたい。そのために僕は会社を立ち上げて、今年5月には合同会社から株式会社にしました。学生時代には環境団体で活動していたのですが、ソーシャルビジネスや良いことを続けるためにはお金も必要です。社会の役に立つだけではなく、事業としても収益性があるビジネスモデルを構築し、可視化していきたいと考えています。

12715579_1557851304533074_777907420513210895_n「食べる通信」はすごくいい名刺だと思います。僕たちは生産者さんに近いところで仕事をさせてもらっています。生産者と消費者が出会い、商品化やブランディング、そして販路拡大のきっかけを生み出すためにも「食べる通信」は最適のツールです。本当の意味で生産者と消費者がつながり、選ばれるものにしていきたいです。

損益分岐点をクリアーすることはもちろん大事ですが、ビジネスの収益の柱は、『くまもと食べる通信』そのものではなく、別のところで作りたいと考えています。冊子や生産者さんの食材のほかに、今後は器や調理器具など想いのこもったモノやサービスを販売することも視野に入れています。また、ECサイトの活用や、僕たちが撮影した写真も販売したいと考えています。

『くまもと食べる通信』を通じてそういう資源のストックもできますし、パッケージデザインやプランニング、6次産業まで手掛けることができればそこでの売り上げも作っていける。ブランディングやコンサルティングの分野でもできることがあるかもしれません。想いを持って一次産業の仕事に取り組むきっかけとして、これほどいいものはないと思います。

熊本は食材の宝庫です。4月号で天草の崎津を取材した時、新鮮な素材ですり身を作るのに、砂糖や化学調味料などを入れすぎるのはもったいないと感じました。余計な添加物を入れないで、パッケージデザインを工夫すればもっと高く売れるはずです。きちんとした視点を入れて磨けば輝く原石がたくさんあると思いました。そういう原石を磨いて、地域に眠る資源の価値を伝えていくことが僕にとってのやりがいです。

■「くまもと」の看板を背負うということ

――「食べる通信」の創刊を検討している人にアドバイスはありますか?

13323342_1611570579161146_2654802296551360611_oやっぱり想いのある人に来てほしいですね。ノウハウの部分はみんなで共有していけばよいので、加盟審査に通過することだけに固執せず、本当に自分たちが表現したいものを作るほうがいいと思います。

もうひとつ大事なのは、地域の看板を背負うという認識をしっかりと持つこと。各地域で早く手を挙げた者勝ちではないし、地名を背負う覚悟がなければやってはいけないと僕は思います。『くまもと食べる通信』は熊本という看板を背負っています。熊本の食の世界はシビアですから、熊本という看板の重みは常に意識しています。ただのファンクラブにはしたくない。生産者さんにファンができるのはいいのですが、僕たちが前に出たり、光を浴びる必要はないと思います。僕たち編集部はあくまでつなぎ役です。僕は熊本のためにも『くまもと食べる通信』をきちんと育てて表舞台に立たせたいです。

(取材・文 高崎美智子)

 →2016/7/12開催「つながろう!くまもと座談会」イベントレポート

■プロフィール

12802907_994622347299101_6604381374758217443_n林信吾(はやし・しんご):熊本県生まれ。早稲田大学大学院を修了後、国内最大級の経営コンサルティング会社に入社。2016年1月、熊本にUターンして独立。『くまもと食べる通信』の発行元である株式会社Eの代表取締役として、飲食事業やクラウドファンディング事業「CAMPFIRE×LOCAL」を展開。NPO法人「環境ネットワークくまもと」の理事も務める。