あなたが言っている"都市と地方をかきまぜる"は、
日本の映画『君の名は』で伝えていたメッセージそのものだ


アニョハセヨ!今、ソウルにいます。雪です。東北より寒いです。なのに、Tシャツとパーカーという薄着で来てしまいました。ホテルの部屋に歯ブラシがなく、フロントで聞いたら「ありません」と言われ、シャワーあがりのTシャツ姿のまま極寒のソウルをコンビニを求めてウロウロ歩いていたら、出勤途中のソウル市民から冷たい視線を浴びてしまい。

韓国では今、社会的経済という分野が若者を中心に大きな関心を集めていて(日本でいうところのソーシャルビジネスかな)、その国際カンファレンスに招かれ、一昨日は開幕式のキーノートスピーチで食べる通信のビジョンを、昨日は5時間に渡って食べる通信の詳細をプレゼンし、質疑応答してきました。

で、これがその国際カンファレンスのポスターです。上が農村で、下が都市。農村と都市をどうやってつなぐか、がテーマだったので、都市と地方をかきまぜるを標榜している食べる通信に声がかかったというわけです。で、ある韓国人から言われました。「あなたが言っている"都市と地方をかきまぜる"は、日本の映画『君の名は』で伝えていたメッセージそのものだ」と。これ、実は同じことを日本でも何人からか言われていました。ぼくが書いた新書『都市と地方をかきまぜる』を読んだ人から、『君の名は』と一緒だと。

昨年、豊田市の農家からこんな話を聞きました。稲刈り時期に田んぼからトラクターで家に戻るとき、土がアスファルトに落ちてしまった。そしたら、そこを通った市民から「車が汚れる」と苦情が警察に行き、警察が家に来たと。稲刈り時期にアスファルトに土が落ちているのは当たり前のことで、その土を見て、あぁ稲刈り時期が来たんだなと想像するのが普通だと思うんですが、この人はそのことを想像できない。決して、この人を責めたいんじゃなくて、それくらい食べものをつくる現場のことがわからなくなってしまっている世の中だということを言いたいんです。

このエピソードが示すように、生産者と消費者は同じ国を生き、あるいは同じ地域を生きているのに、まるで別の国で生きているかのように、お互いの世界を知らなくなってしまっています。知らなければ共感しようがない。人間は相手との関係性が見えて、初めて想像したり、共感したりできます。でも、知り合いに農家がひとりもいなければ、無関心になる他ありません。それは逆もあてはまること。農家も都市を生きる消費者の苦悩を知らないので共感できなくなっている。

都市と地方をかきまぜるとは、まったく違う世界を生きる生産者と消費者が互いを知ることで、互いの世界への理解を深め、共感力を高めることです。そうすることで相手の痛みや悲しみに心を寄せることができるようになれば、日本の荒廃する「食べる」世界は、今よりきっとよいものになっていくはずです。

あまりにもぼくの周りの人間が『君の名は』を見た見たというので、そう言われると逆に見たくなくなるという歪んだ性格をしているんですが、ちょっと、この映画は見ておこうという気にさせられた韓国訪問でした。にしても、サムゲタンとスンドゥブのおいしかったこと。そして、台湾に続き、通訳と一心同体になるという不思議な体験もでき、韓国にも生涯の戦友ができたことが財産になりました。

東北開墾代表
高橋博之