今、なぜ食べる通信か


私たちが生きるこの大量消費社会について。

先日、都知事選がありました。仕事で新宿駅を通りかかったとき、ある候補者が「政治を私たちの手に取り戻そう!」と熱弁していました。一体、誰の手から取り戻すのか。聞けば、有権者の意識からかけ離れてしまった既存の政治家から有権者の手に取り戻すとのこと。果たして、私たちは政治を奪われてしまったのでしょうか。

日本は国民主権です。主権者は、私たち国民一人ひとり。20歳になるとすべての国民に投票権が与えられ、まちづくり、国づくりに参加することができます。つまり、政治は今なお、私たちの手の中にあるわけです。私たちは、政治を奪われたのではなく、手放したのだと思います。4年に一度の選挙。誰かに頼まれたから仕方がなく投票所に行って、後はどうぞお任せ白紙委任。今の政治の劣化は、私たち主権者が主権者たりうろうという努力をサボタージュしてきた結果ではないでしょうか。

3年前まで、私は地方議員をしていました。今は後援会を解散し、食に関わる事業を始めました。で、あることに気づきました。有権者と政治家の関係と、消費者と生産者の関係は似ている、と。有権者も消費者も観客席の上で高見の見物をし、グランドでプレーしている生産者と政治家に文句だけ言っている。自分は安全なところにとどまり、決してグランドに降りようとしない。今の時代、政治すらも消費の対象になってしまっています。あの一世を風靡した橋本徹も今や消費され尽くそうとしています。

議員時代に取り組んだ医師不足、地域医療の崩壊の問題の根源も同じでした。患者が医師を消費している。土日や夜間に、軽症でも救急車を呼び、病院に駆け込む。医師は神様ではないので、力の限りを尽くしても救えない命はあります。が、人殺しとすごみ、すぐに訴える。こうしてリスクの高い小児科医や産婦人科医になろうとする若者が減っていく。患者の過剰なまでの医師への攻撃が、医師を疲弊させている実態がそこにはありました。

大量消費社会では、食にとどまらず、政治、医療、教育、まちづくり、そして身近な暮らしのありとあらゆる課題解決に至るまで、ほとんどお金で買えます。つまり、みんながお客さんです。で、どこもかしこも効率ばかり求められ、生産する側が疲弊しています。消費者の論理は、できるだけ安く、早く、たくさん、安全に、いいものが欲しい、です。
もちろん、そのニーズに応える努力が生産する側に求められるのは言うまでもありません。しかし、限度があります。限度を越え、生産する側が弱体化していくと、偽装や担い手不足などの問題が顕在化し、巡り巡ってその恩恵に預かる消費者は困ることになります。それが今の社会と言えます。あらゆる分野で同様の問題が起きています。

消費する側から生産する側に回るということは、誰かの手にゆだねるのではなく、当事者になるということに他なりません。なにもみんなが生産者そのものになる必要はありませんが、自分のできる範囲で生産する側に参加することはできます。食を例にあげれば、食べる、買う、知る、交流する、訪れる、手伝う、仲間に宣伝する、SNSで情報発信する、定期購入する、リスクシェアする、自分の専門分野の知見を活かしてアドバイスするなど。

農協がどう、政治がどう、役所がどう、スーパーがどう、ではなく、私はどうするか。ここが今の日本には決定的に欠けています。課題解決を他人の手にゆだね、ダメだダメだと批判してみても、よくなってこなかったのだから、自分が課題解決に当事者として入っていくしかありません。そうすれば、今よりよくなります。ひとつ事例があります。兵庫県立柏原病院で数年前にあった取り組みです。

小児科医がひとり、またひとりと病院から去り、柏原病院は小児科消滅の危機に瀕していました。お母さんたちは困りました。で、最初は、議員に陳情したり、4万人分の署名を集めて行政に持っていったりしましたが、「柏原だけ特別扱いできない」と、行政は動きませんでした。そこで、お母さんたちはなぜ小児科医がこうして次から次へといなくなるのか調べたところ、自分たちに原因があることを知りました。土日や夜間などの時間外診療を安易に求めるコンビニ受診の結果、小児科医は疲弊していました。

お母さんたちは、医師を大事にしようという運動を始めます。ステッカーをつくって車や商店街に貼ったり、子どもたちに医師への感謝の手紙を書かせたり、勉強会を開催したり、当事者として課題解決に取り組みました。結果、1年後には時間外診療が4分の1に減少。ゼロになりかけていた小児科医が5人に増え、小児科医は存続することになりました。
消費者が生産する側に回れば、もはや消費者ではなく、生産者がつくったものを活かす生活者になり、生産する側の質が向上します。柏原のお母さんたちは、医師を消費するのではなく、活かす生活者となり、自分たちに降りかかろうとしていた困難を乗り越えました。自分の暮らしを取り巻く課題解決に主体的に参画することは、自分が暮らしの主役に座るということなんだと思います。国民主権、民主主義とは本来、そういうものです。

暮らしの主役に座るとは、暮らしを自分の手に取り戻す、つまり主体的に生きるということです。豊かだけど何かが足りない。やりがいや生きがい、生きる意味を喪失している都市住民が増えています。そんな消費社会に飲み込まれた都市住民の「生きる」のスイッチをオンに変換するカギも、この「つくる」にあると感じます。

津波ですべてを失った被災地は、この「つくる」世界が広がっています。この場に参加し、「生きる」を取り戻していった都市住民をたくさん見てきました。一方、地縁・血縁に頼る閉鎖的なコミュニティだった被災地は、都市住民のスキルやノウハウ、ネットワーク、資金を取り込むことで課題解決力を上げています。都市住民と地方住民が交わることで、お互いの力になるというよい化学変化が起きています。同じことをいかに平時でも起こせるか。

全国各地の農山漁村には、この「つくる」場が、たくさんあります。被災地はそれが自然災害でよく見えるようになっただけです。なので、私は”食”を切り口に、地方の生産者と都市の消費者を、食べものつきの情報誌とコミュニケーションでつなげる『東北食べる通信』という事業を始めました。消費者から生活者に変わるきっかけとなり、同時に、被災地で起きている化学変化に近いことがやがて生産現場でも生まれるんじゃないかと期待しつつ。

東北食べる通信編集長 高橋博之