宮沢賢治と宇多田ヒカル


宇多田ヒカル

宮沢賢治と宇多田ヒカルについて書きます。

日頃、東北沿岸部を中心にあちこち走り回っています。自宅のある花巻には月に2回くらいしか帰りません。昨夜は自宅に泊まったので、今朝は久しぶりに散歩しました。私の散歩は、夜明け前に歩き始めます。だいたい1時間。北上川沿いを歩き、日の出を見ながら家に戻るのがパターンです。県議時代は毎朝3時から、月明かりを頼りに歩いていました。

北上川沿いにはところどころに小さな雑木林があります。暗闇の中、林の中からガサガサ何かが動く音がしたり、突然野鳥が飛び立ったりして、他の生物の存在に敏感になります。そんな中をひとりとぼとぼ歩いていると、普段使っていない部分の感覚が研ぎすまされ、自分が生き物であるという当たり前のことを自覚します。

写真は、宮沢賢治詩碑から眼下に広がる田園地帯。自宅から徒歩5分のところにあります。もやが立ちこめているのが北上川で、その手前に「下ノ畑二居リマス」で有名な賢治自耕の地があります。かつてこのあたりは薮地でしたが、賢治は近くの宮沢別邸で独居自炊をしながら、桑で開墾。トマト、白菜、たまねぎ、アスパラガスなどを植えました。創作もやりました。

賢治の童話には、擬音語が多用されています。

どっどど どどうど どどうど どどう
青いくるみも吹きとばせ
すっぱいかりんも吹きとばせ

ご存知、風の又三郎のイントロです。小学生のとき、音楽の授業で歌いました。擬音語の部分が耳に残って、家に帰っても離れませんでした。大の宮沢賢治好きで知られる宇多田ヒカルもこの擬音語にとりつかれたひとりです。『WINGS』という曲の歌詞にある「ラララらララ ラララヲウヲオ」の部分は、賢治の詩にあこがれてカタカナ表記と平仮名表記が混ざったと自ら語っています。

『テイク5』という曲の歌詞も、彼女は賢治の世界とダブらせて書いています。ちなみに、宇多田ヒカルの祖母は花巻市の出身で、母は一関市出身です。彼女自身、花巻には何度となく訪れ、創作活動のインスピレーションを得ているそうです。何年か前に、宮沢賢治記念館のさわやかトイレネタをTwitterで発信し、ちょっとした話題になりました。

『traveling』という曲に出てくる「風にまたぎ月へ登り」とか「波とはしゃぎ雲を誘い」という歌詞も、「らしい」です。賢治作品から影響を受けていることがよくわかります。またこの同じ曲で、「春の夜の夢のごとし」、「風の前の塵に同じ」という歌詞が出てきます。これは平家物語の一節をそのまま引用したものと思われます。

形あるものはいつか壊れる、命あるものはいつか朽ちる。宮沢賢治にしても、宇多田ヒカルにしても、平家物語にしても、そこに通底しているのは「無常観」です。この世に永遠のものなど何ひとつない。「限り」があるからこそ、「生」は自ら光り輝く。近代社会は快適で便利な暮らしを実現する一方で、私たちの感覚の中からこの「限り」、あるいは侘び寂びという伝統的美学を遠ざけてきたと言えます。

この本来日本人が持っていたメンタリティを涵養してきた背景には、地震や津波などの自然災害がありました。

地震学者の寺田寅彦が昭和10年に書いた『日本人の自然観』という本があります。その中で、西ヨーロッパの自然と日本の自然を比較しています。西ヨーロッパでは自然が安定していて、ほとんど地震がない。なので自然を客観的に観察でき、データを収集することができる。結果、自然を征服したり、コントロールする思想が生まれた。

一方、日本では自然が不安定で太古の昔から地震が多発し、台風などの自然災害も頻繁に起きてきた。日本人は、そのような不安定な自然と付き合う中で、ひとたび自然が怒りだしたら抵抗してはならない、頭を垂れ、人々が互いに助け合うことで、その自然の猛威から自分たちの生活をいかにして守るかという知恵を積み重ねてきた。

このように何万年となく恐ろしい自然の脅威と向き合ってきた結果、「天然の無常観」という感覚を日本人は自然に育てるようになった、そう寺田寅彦は書いています。

近代を押し進めたユダヤ・キリスト教文明、アングロサクソンの西欧社会からすれば、この無常という日本的な精神ほど虚無的な思想はありません。大震災で、日本ははからずも近代のフロントランナーにいるという歴史的アイロニーに果たして気づいたのか、気づかなかったのか。

コンクリートで塗り固める式の創造性なき復興のあり方からは、20世紀の喪失を反転させるような新しい生き方が一向に見えてきません。フロントランナーらしく、東北から新しい時代のフロンティアを探し当て、開墾していきたい、そう思います。

東北食べる通信編集長 高橋博之